2009/12/11

千葉学「大多喜町役場コンペ」講演会











@INAXギャラリー 建築家フォーラム


建築家フォーラム千葉学さんの講演会を聴講してきました。

前半は町役場コンペ案の背景としてのオフィスアーバニズムについて。過去のJAオフィスアーバニズム特集(阿部仁史+曽我部昌史+千葉学+小野田泰明)の紹介と九州に竣工した「子供の城」の紹介。後半は大多喜町役場のコンペとその後。以下要約(メモ)です。

ソニーの新しいオフィス、メディアが変わることでオフィス空間も変わるだろう、という前提での提案。もともとミースの均質空間からほとんど変わっていないという問題意識のもと、オフィス空間に興味を持っていた。普通(最近では少し高くなっても)天井高2800、窓からの距離も(最近では)長くて20mくらいの奥行程度とされるが、オフィス100mキューブというの異例のプロポーションでの提案。

コアの周りにフロアがあるという支配的なツリー状モデル、それを変えたい、都市空間のモデルに近づけたいという欲求に対して
・床をなるべく広くして(メガフロア)・多方向からのアクセスが可能なもの・たくさんの使われ方(貸し方)ができるもの
ということから天井高の高いメガフロアを積層させるという解答に至った。

当然出るであろう批判材料である、空調が大変、コストがかかる、という懸念に対して詳細に技術的な裏付けもやっている。排熱を上に集めることで居住域の空調はそれほどロスがない計画が可能とのこと。さらに床面積に対する外壁率が低いため、相対的に安くできる。結果として
・経路の選択性・ツリーでない構造・都市の中に下町、山の手ができるような不均質性の獲得
が豊かさを生むのではないか。

九州「子供の城」
屋内に遊び場がなかった。子供はどこでも遊びを開発することができるため、プログラムから建築を計画するということができないもの。コンペで勝ったのにも関わらず8棟の分棟を否定され(笑)1棟にした。屋根が起伏を繰り返していろいろな場所を作る、全体が分棟のように見えるひとつながりの空間を作った。プランと整合性があるわけではない、多様な屋根(様々な四角いヴォリュームが)を作る。多様な場所をつくるために、屋根のみに集中したデザイン操作を行っている。

働き場所も子供の場所も同様に、プログラムから導かれないものとして計画しなければいけない。それによって屋根だけのデザインをしたり床だけのデザインをしたりした。そのような建築-プログラムの関係を考えるきっかけがあり、その延長上で大多喜町役場コンペを考えた。

今井兼次設計の大多喜町役場増築コンペ
大多喜町を詳細にリサーチし、特に町屋がきちんと残っていることに特に興味を持った。そんな町の庁舎(見に行った時には1月、寒い)を実際に訪れてみると、断熱材もなく、寒く、コンクリートなども老朽化しており、職員の方々も膝に毛布を掛けたりストーブを炊いたりしているのを目の当たりにした。普通だったら壊して建て替えようとなってしまいそうなところだが、そのような状態にも関わらずそれを残そうとしている町の態度に感銘を受けた。

また、今井兼次がガウディ研究をしていたこともあり旧庁舎(同一敷地内)装飾的なところが多い。そのような空間性も50年愛され続けたものであるということにつながっているのではないか。象徴性と普遍性。そのように50年間保存されたもの、を今後50年活かせるように、古いだけでなく新しいもの、しかし将来古くなることも考えた関係性を提案した。

その根本として、ジョンソンワックス本社ビルのように、「オフィスのフレキシビリティ」と柱のみの造形による「象徴性」を両立できるようなものが提案したかった。それで1次は屋根を提案するということに集中する。1次を通ってから様々な屋根のスタディをした。町のシンボルとしての5角形を使うことから始まり(1次提案)、庁舎の構造である門型のフレームだけ(オーソドックスタイプ)を提案したりする。いろいろなタイプの屋根をスタディ。結果として正方形プランに対して45度にかかる2方向の梁を作っていった。グリッド上の梁ではなく、少し角度をつけるだけで影が多様になる、ということに気づく。その後構造体(梁)のスケールの密度などのスタディをしていき、梁方向について梁のレベルを変えることに。そして最終的に構造の合理性なども加味して45度方向に梁を掛け、大梁の上に小梁(90度回転)という屋根に行き着く。恣意的につくるだけでなく合理性を考えた末。2次プレゼン段階にそういった空間を作りたいというプレゼンをした。

「大多喜に重層する時間と空間」というタイトルでプレゼン時のパワーポイント(1/100くらいの部分平面図とそこでのアクティティ、空間のイメージパースなどがセットになったプレゼンはわかりやすい)を作成。

プレゼンは
1「冗長性と象徴性」というキーワード
2本庁舎の一方向性(門型フレームの長方形ヴォリューム)に対峙する増築棟は2方向性を持つ正方形ヴォリュームの提案
3高い天井高の象徴的な大屋根の増築棟の空間性のアピール
4屋根(現された梁)の作る空間性と、構造設備の合理性
5そこで行われる多様なアクティビティ
6大多喜町によく残存する町屋の屋根(部分的に小屋組が見えていたり、屋根が生み出す多様な空間性)との類似の指摘
という流れ。

5ヶ月くらいやらねばならないコンペだったので命がけだった。4月末に結果が出て今は実施設計の中頃という段階。コンペ案の見直しとスタディをずっとしてきたような状態。実施に入っても未だに屋根の空間のスタディをしている。さらに話し合いで議場、役場など機能の再配置をしなければならず、使い勝手、リクエストによってプランが大きく変わっている。

構造的には門型のフレームが重層して出来ているという形式を守るために柱と耐力壁を分ける、という提案。大梁はねじれに耐えるためにボックス型の鉄骨梁、その上の小梁はH鋼に木を抱かせたもの(座屈防止にも効いている)という構造、屋根はフラット+トップライトという方向性でスタディをする。トップライトを直行させると屋根全体が斜めになる、45度にすると2方向に樋が回る、大梁のレベルを変えず屋根勾配だけを変えるかなど検討した結果今のところ大梁ごと傾ける勾配屋根に、などなど。というのを未だに延々とやっているので決め方がよくわからなかったが、さんざんスタディをしていたのでだんだん見えてきた状態。


古谷:千葉さんの設計のプロセスが見れて驚いた。想像の3倍くらいのスタディがなされている。コンペ時(古谷は審査員)審査員には大多喜町の関係の方も多かったが実は圧勝だった。仮に床はフラットであっても天井(屋根)を集中してデザインするというコンセプトにオフィスアーバニズムなどのバックグラウンドと連関が示されていて展示として完成度が高い。同時に新しいものが加わることで古いものだけではなしえなかった全体像を提示できたということがよかったと再確認したが、新旧庁舎の対峙はどれほど意識したのか。

千葉:増築部分はおおらかな空間がつくれればよい。旧庁舎の門型フレームというボキャブラリーを使いながら細長い平面形の旧庁舎だけでできないものということで正方形の平面を割と早い段階で決定した。が、対比を明らかに意識したわけではない。

古谷:確かに他の案でも正方形は多かった。今回は通常のコンペに比べて1次の次に5社による2次(A1-2枚)を設け、設計の時間を与えようとした。そうしたら千葉さんの屋根は最初(1次)は大多喜の5角形の紋章を屋根に使うと言っていたのに、それが2次ではあっさり格子梁に変わっていた。1次-2次のコンペの段階での進め方はどうだったか?

千葉:やっているほうは長くて苦しい。しかし考える時間が長かったのはよかったとは思う。紋章ではなく(1次で言ったことを2次でやらないということは)格子梁にすることは苦渋の決断だった。しかしダイレクトなシンボリズムは正直どうかな、というのもあったし、5角形は難しく、構造の合理性にたどり着かないと思ったのもあり、変更するに至った。2次提案の時間はほぼ屋根のスタディに費やした。

古谷:近年本格的なコンペがなくなり、簡単なイメージで議論してプロポーザルで選ばれることがほとんどになった。1次のときに出したものしか2次に使えない、という類の(よくある)レギュレーションが実は思考の時間を狭めているのではないか、という問題意識がある。つまり1次にぱっと考えて出したものが通ってヒアリングまで行ってしまうと、深く吟味することなくそれをやらねばいけない状況になっているのではないか。ということで1次はあっさり、2次で5社を選んでから時間を与えてディベロップしていただく、というこのコンペのやり方(2次選出後A12枚を提出し、その後プレゼンというやり方 < 最近の主流は1次で提出したものを選び、それをもとに追加資料なしでプレゼンする)を設定した。



以上、講演メモです。メモなので正確でない部分、興味ないところの恣意的な省略はお許しください。
個人的には屋根に集中するがあまりのファサードの不在(役場の顔として)と、屋根と門型フレームというボキャブラリーを両立させることによって屋根も門型も目立たなくなる問題(つまり屋根なら大屋根が張り出した構造でないと内部しか屋根の恩恵を享受できず屋根としての存在感が薄まる、門型は屋根と構造壁などが必然的に存在することでその価値が把握しにくい)、などが気になった点でしょうか。それはともかくスタディ過程を詳細に追うことができるプロセス派には欠かせない展示+講演会でした。

2009/12/08

中国ネット規制

約1ヶ月の香港滞在を終え、只今帰国中、トランジットの台北空港から書き込んでおります。

香港のなにがしかはいずれ気が向けば書けるかもしれませんが、、、只今アクセス規制問題を体感しております。行きのトランジット時には空港からツイッターにアクセスすることができましたが、今は全然つながらないんです。

試しに他のものも試してみたところ、Twitter(いくつかのクライアントソフトもダメ)、Youtube、Facebookはつながらず、意外なのはAmazonもWikipediaもダメ、、、しかしニコ動、MixiはOKでした。日本語だからかな?

台北・香港ともに空港の整備はかなりよく、ネットもFreeで超高速、Yahooとかgoogleも今のところ大丈夫です。中国では今夏いろいろつながらなくて困ったものでしたが、香港は大丈夫で台湾はダメというのもいまいち納得が行かないところです。

とりいそぎメモがてら12月8日現在の報告まで。
とかぶつぶつ書いているとここもアクセス禁止になったりして笑。

2009/11/25

香港 - 深圳

2週間ほど前より香港にきております。とあるプロジェクトの関係で現地設計事務所に出向という形。

当初の予定ではいろいろ食べ歩き、ブログにでもアップし続けようかと思っていたのですが、忙しすぎてそれどころじゃなく、一段落しても一人じゃなかなか、という感じのため、出張中こっそりグルメ開拓作戦は不発に終わりそうです。

昨日は深圳に行っていくつかの外注しているもののチェックに行ってきました。香港ではよく外注を(当然安い)深圳の会社にするようで、東京から横浜に行くような感覚で深圳に行きます。電車は満員状態。しかし、さっと入れるのかと思いきや、かなり厳しいimigrationがあり、外国人の僕はきっちりarrivalcardまで書かされ(当然往復で二枚)体温まで計られ、という具合。ちなみに同行した香港人のスタッフはパスポートこそ不要なものの、IDチェックと指紋確認などがあり面倒くさいと言っておりました。

ヨーロッパの国境程度を予想していたので、意外でした。とはいえ、電車かバス+immigrationで香港中心部より計1時間ほど(しかも交通費はかなり安い)行くと、人件費・制作費など何もかも安い都市があるという体験は、想像していた以上に何か不思議。毎日行き来しているビジネスパーソンも多いとのことで、非常に面白いネタなんじゃないかと思ったところですが、ちょっとそんなことしている場合ではない多忙っぷりなので、今後の課題のひとつにしようと思います。

2009/11/02

ラグジュアリーとは何か

東京都現代美術館で開催されている『ラグジュアリー展』を見てきました。その導入の文章がなかなかよかったです。

「ラグジュアリー — それは、時代と場所を超え常に私たちの心をとらえてきました。同時に私たちは、ある種の批判的なまなざしでそれを見つめてきました。常に姿を変え、手に入れたかと思えば彼方へと逃げて行く。にもかかわらず、それがない社会は想像しにくい。ラグジュアリーが持つあいまいさ、そして、私たちの生活とのかかわりの深さが、この言葉に今なお失われることのない輝きを与えています。」

ラグジュアリー=豪華=時代錯誤である、という態度を否定し、もちろん昨今の装飾的デザインの流行とも異なり、「ラグジュアリー」を憧憬の社会性という文脈に置くあたり、なかなか深いなぁと。逃げること=憧れという構造をうまく表しているように感じます。

展示は19世紀頃の貴族のドレスから始まりシャネルやイヴサンローランあたりまでのドレスがずらっと並び、服飾のヒト達にとってはきっと生唾もの。「モンドリアン」というスーツ(モンドリアン柄)等もあり、その先にはマルタン・マルジェラとコムデギャルソン(会場設計:妹島和世)の展示。

どれも面白いですが、マルジェラの制作時間が明記されていることに驚きます。「一着の服が出来上がるまでにかかる時間もデザインや素材と同様の価値があることを、マルジェラは私たちに教えてくれます。これは、効率性や利便性のみが優先されがちな現在に対する問題提起でもあります」とあり、これまたなるほど、と。服飾の分野が抱える問題意識がこういうところに表れているのは興味深い。何がものの質を左右するか、というまさにラグジュアリーな問題提起です。

個人的な好みとしてはギャルソンの服が展開されて(およそ服とは思えない形)撮りおろされた写真が一番ぐっと来ました。着ることを考える、というのと同時に機能と形態の不一致を批判的に追求する姿勢に共感。まあ批判的な眼で見ればこじつけにも捉えられますが、これまたラグジュアリーとは何かという文脈において展示をされたことが、この展覧会を奥深いものにしていたと思います。

2009/10/23

ミシェル・ゴンドリーとAKB48

本日の研究室ミーティングの中で、ミシェル・ゴンドリーとAKB48の話題(なんの研究室なんだか笑)が出ました。ミシェル・ゴンドリーが監督したケミカルブラザーズのPV『Starguiter』、短かったし映像と音楽がずれていたようで、いまいち意味がわからなかった人もいるかもしれませんが、電車の疾走する映像の中で、曲のビート・効果音に併せて信号やポールやタンクなどがリズムよく反復されるというもの。( DVD『DIRECTORS LABEL ミシェル・ゴンドリー 』所収)

ミシェル・ゴンドリーの特長を一言で言えば、編集性にあります。既知のものを編集して置き換え可能性を提示する、つまり風景なんて要素を入れ替えてもなんら変わらないさと言わんばかりであり、同時にちょっといつものものを入れ替え+置き換えするだけで面白いでしょ、と言うような編集の妙です。

テクノロジーをあまり使わずに映像の組み替えアイディアが多彩なミシェル・ゴンドリー、それとAKB48のメンバー全員揃わなくても問題なし、という交換可能性のアイドルに共通点を見いだした、ということです。偶像であるアイドルのあり方が、これまでの「個人を束ねる」グループ系のアイドルとは(もちろん事後的にメンバーの一員が従来のアイドル化はするのですが)異なるAKB48とミシェル・ゴンドリー、さらに細胞が全て入れ替わっても自分の脳は脳であるといった「生物とは何か」問題、ベルナール・チュミの「空間と機能はすでに1対1ではなく、そこではもはやイベントと空間が断絶している」といった話題、時間変化に伴う社会の変化、ハコものとは何か、などの話題がいろいろ絡むと面白くなるのでは、と(書き散らかしてすみません)思っています。

2009/10/11

20XX年の建築原理展

銀座INAXギャラリーにて『20XX年の建築原理展』最終日にすべりこんできました。

本は読んでいたのですが、展示ではさらに多くのスタディ模型が順に並んでいました。そのスタディ(作業量)の多さについて、単純に本の内容に比べて「こんなにやっていたんだ」と感じさせる量で、同行者も同じ感想。プロセス本でありながらスタディの量を強調して掲載しない、掲載案を選別している、とはどういう編集の意図があったのでしょうか?本の質を高めるためにスタディ案を厳選する必要(似たような模型も少なくないですし)があったのか、展示とのギャップを演出(本→展示の場合は有効でも展示 →本の場合は、、?)することで新鮮さを与えようとしたのか、途中の議論を重視してあえて時系列的なスタディプロセスを表現しなかったのか?少なくとも本→展示といった僕の場合は非常に楽しめましたが。予想を上回る驚きをもたらす展覧会の実現とはそう簡単でないはずだし。

ともあれ、会場では平田晃久案と藤本壮介案の模型が時系列的に順に並んでいるのですが、両者の違いが興味深かったです。

山、ビルといったメタファーを使いながら、常に敷地地図と一緒に模型を作成して都市におけるインパクトを模索する藤本。ほとんど最後まで敷地模型なし、本体の形態の原理を追求する平田。それでいて最後には1/100の大きな模型作って敷地外はほとんど省略する藤本と、1/200で敷地外のかなりの範囲まで表現する平田。案の進め方も、平田案がピースの集積とチューブの集積で線形的に発展するのに対し、藤本案は、細長いビルの集積、斜めに密集するビル、イソギンチャク型、入れ子状の山、ポーラスな積層の山、といろいろなアイディアをトライ&エラー。

建築生成の原理を発展させようとする平田と、都市に対するインパクト創出の藤本という対比に彼らの設計スタンスが現れていたように感じます。ただやはり、このプロジェクトの二つの軸となる「建築の原理」と都市に対していかに建築を考えるべきかという「建築生産の原理」との乖離は免れていない。これは案が面白いから余計にそう感じるとも言えますが、展覧会では特に前者よりの印象。普通の人が見て「これは奇抜だけど、、よい!」と言うにはまだハードルがありますね。これはみんなの課題でもあり。


追記:本書(企画)の編集協力のmosakiさんに聞いてみたところ、プロセス本を作っていた段階(毎月建築家が案を出してくる段階)で既に、スタディが選定され、絞られていたとのこと。彼らにとっても展示の時に見た事のなかった多くの模型が出て来たと仰っていました。つまり、案生成のプロセスにおいては何を出すか、そこでそれぞれの建築家としての選定があり、最終案へと進むという、リアルなプロセスがドキュメントとして本になっており、展示ではそれらを振り返った時に裏から出て来た「プロセスのプロセス」としての模型が再編集されたメタプロセスとなって展示を構成していた、といったことですね。そういった二段階のプロセスの提示であるという、ドキュメント企画としては極めて興味深い見方が出来る展覧会でした。見逃した人は本を熟読すべし。

2009/10/07

逗子のCinema Amigo

一昨日の日曜日、旧友がこの夏にオープンさせた逗子のCinema Amigoというお店に行ってきました。ミュージシャンでもある彼、残念ながらその日は遠征していたようで会えませんでしたが、店のコンセプトが大変面白かったので紹介します。

2階建ての住宅の1階部分を改装したこのお店、夜は映画館として映画を上映、バーとしても営業しているようです。昼はカフェとして、ランチを出しているのですが、なんとシェフが毎日変わる、と!昔お店で働いていたけど子供が出来て毎日は厳しい女性や、スペイン修行から帰国して自分のお店を出す準備期間のシェフなど、曜日によってランチが変わるのです。しかもそのジャンルも様々。行く時に「今日はスペイン料理のランチです」と言われていたので?と思ってはいたんですが、、。


この店はミュージシャン、写真家、インテリアデザイナーの3人でやっているそうですが、壁にかかっている写真も非常に魅力的、店内は昔の映画館から持って来たようなイス、ソファー、アンティークな小さな机、ローテーブルなど、センスのよい家具(統一されていないのが非常に心地よい)に囲まれています。

さらによくみると値札のついた小物などもあり、一角に花屋(これまた別の方)コーナーがあり、隣のパン屋(水仕込みで木金土しか営業しない)のパンも日月火はここで売るらしい、と。もう、やりたい放題なんだけど、非常に効果的なタイム(&スペース)シェアリングの形態と言えるでしょう。逗子まで行かれる方は是非。

cinema-amigo.com

2009/10/04

建築の社会的価値の変容の追求

伊東豊雄・藤本壮介・平田晃久・佐藤淳『建築20XX年の建築原理へ』INAX出版、2009

INAXギャラリーで行われている『建築20XX年の建築原理へ』展の本書、ギャラリーにはまだ行けていない(来週まで?)のですが、読んでみました。4人が架空のプロジェクトを元に議論したり案を出し合ったりして建築をつくるドキュメント本。

タイトルとなっている新しい建築原理を模索するというテーマで、例えば建築の大学生や大学院生にとっての建築を考えるプロセス本(最良の部類だと思う)として「建築形成の原理」を、社会にまみれた大人のヒトに対して建築とはどういう社会的存在なのかを改めて問いかける「建築生産の原理」ふたつの軸があるようです。

建築案は大変面白く見れましたし、形態とかコンセプトとか建築そのものにももちろん興味がありますが、これくらいの規模の問題設定では、特に日本では社会にどう立ち向かうかといった枠組みの方を重視せざるを得ません。「奇抜だけど、意義有り!」というマニフェスト的なインパクト生成のツールとしてデザインが存在する、そんな感じがしています。

そのような建築生産の原理よりの気になった文言を以下、ざざっと抜粋・引用します。

平田:東京ミッドタウンのプロジェクトや高層マンションなどがぼこぼこ建っていますが、そういうみんなが知っている東京のプロジェクトをアトリエ派の建築家がやっていない p042
伊東:実際にはあそこで仕事をしたい人がたくさんいるのに、仕事をしてはいけないという約束があった。名目上はハウジングにして、住むことを前提にプランニングしないといけなかった。民間のマンションでもそういう規制はありますよね。現実と乖離している p044
平田:最近はマンションでも、同じ間取りが並んでいるのは流行らないらしいです。隣室の人の行動が透明に想像できてしまうから p044
佐藤:昔、鉄の値段が人件費よりもはるかに高かった時代は、力学を追究して鉄を減らした。その時代の架構は力学的にも純粋で美しい。いま日本では人件費のほうが高いので、例えば全部大きなH型鋼でつくってしまえということになっています p046
伊東:コンテクストを連続させながらも、巨大な高層建築が可能だという提案をしたい p92
平田:オフィスだと屋外空間の快適性を評価する指標がほぼないので、とりあえず住居から崩していくのもいいかもしれない。住宅のモデルで考えていって、そこに建築の新しい指標を見出すのがひとつのロジック p126
伊東:デパートでは上の方に人が上がらないかもしれないけど三井のマンションだったら上層階のほうが値段が高い p055
山本:パブリックとプライベートに分けるという発想は、近代建築の一番扱いやすい手法に戻ってしまっている p186
伊東:敷地周辺のパークタワーみたいな高層マンションには住みたくないって、ほとんどの建築家は思っている p189


ちなみに、平田晃久案は僕の昔の修士計画にやや似ております笑。空間を多数化することで建築・都市の価値を変容(パブリック-プライベート、外部-内部、住民-通行人、スキマ-ボリューム、経済原理思想-ノスタルジック思想、建築-都市)させるべしといった、概念的な思考も含めて。

2009/09/28

SDレビュー2009

今日は代官山ヒルサイドテラスにてSDレビュー2009(註)の最終日に滑り込んで見て来ました。とは言いつつ、4時過ぎに行ったらすでに終了しており、撤去作業の中あわてて見た感じ。

今年は建築的に眼を引くものが少なかったように思います。大学の研究室で取り組んでいるもの、外国人によるもの、海外でのもの、大きなプロジェクト、ワークショップを絡めたもの、構法的な提案など、「プロジェクトの枠組みバリエーション」を重視した審査だったことが想像できます。

気になったもの(半分は撤去中だったので、見逃したということで、、、)は、

中本剛志+リッチー・ヤオ『A Friend’s House in Arizona』
プログラムで分割した3つの長方形ボリュームが重なってできるアリゾナの住宅。非常に明快だし、アイディア一発のみで終わるのではとの予感もしていたが、それぞれの接合部も面白くデザインされており、なかなか密度が高いように感じた。ただし、「プログラムで3つに分割する」にかかわらず、3本のボリュームがほとんど同じ形態・デザインであること(様々なスタディ模型があったが、すべて3本が同じボキャブラリーでできている)に疑問が残る。全体が一つの形式を持つものであるからなお、個々の差異(プログラムごとに)が強調されたほうがよかったのではないか。

僕らの同僚でもある尹敏煥+李東勲+朴敬熙『Folding screen house』
折れ曲がった3つの素材の壁に囲まれて多様な部屋を創り出すという韓国の住宅。洗練された設計とプレゼンだったが、「3つの素材の壁」で構成する必然性があまり説明されていなかった。また、折れ曲がり方、高さによって多様な室が出来ているとはいえ、やはりどこも微差しか生んでいない。周辺環境が何もないようなところなので、ミニマルな操作によって劇的な差異を生むことを目指すべきだったように思う。そういった印象が感じさせるデザインの固さ(=自ら設定したルールに忠実)は彼ら流なので真面目でよいと思うが、例えば床に地形的な高低差を持ち込むだけでより3つの壁が生きていたはず。

などなど。他にも分散居住というプログラムは既知ながらもデザインの発展具合が面白かった畑 友洋『ネットワーク型集合住宅』、グラフィックが可愛く(個人的な好み)建築のファサード(材料)の設計プロセスを考えさせる藤田桃子+河野直+ケリー・フィンガー『Casa en Peru』、丘に2枚の穴のあいた壁が立つ幻想的な平山裕章+増田信吾+大坪克亘『たたずむ壁』など面白そうでしたが、いかんせん撤去中だったので内容は正確に理解できず、、でした。


註:SDレビューは若手建築家の登竜門と言われるコンテスト・展覧会で、実施を前提としたプロジェクトを対象に、入選した15作品程度の展示が行われるもの。実は僕も今年、とてもイケてるプロジェクトを出しましたが、あっと言う間に落選しました笑。審査員が理解しきれず、ということにしておきます。

2009/09/27

twitter

最近twitterを始めてみています。このブログは週に一度程度文章を、twitterでは毎日戯れ言を、というように棲み分けを図ろうとしていたのですが、なんだか混同してきて、しかも最近なかなか忙しいことから、なかなか更新できませんでした。なので若干、文章軽めに、更新多めにというように方向転換しようかと思います。
とはいっても、もともと日々の忙しさにかなり差があるタイプの人間ですので、うまく回せるかは疑問なところでありますが、、、

ちなみにtwitterアドレスです。フォローして頂けると幸いです。
http://twitter.com/Ko_Nakamura

2009/09/11

延安の窰洞(ヤオトン)近代化

延安にはたくさんの窰洞があるが、その多くが増改築がなされており、それなりに快適に人々が暮らしていた。山の側面にカオサン式と言い、都市部の周辺の傾斜地は窰洞で埋め尽くされているが、都市部が急激な近代化の過渡期にあり、高層マンション等の建設ラッシュが起きている。その建設ラッシュの労働力をあてに内陸の貧しいところから、労働者が移住してきており、そのような階層の労働者の多くが窰洞に住んでいるということが明らかになってきた。

いくつかの穴をひとつの家族が持っていることが主であるが、そういった穴の一部を労働者などに貸している例が多い。しかしそれらはそれなりに改築されており、伝統的な居住形態が生活とともに継続していると言えなくもない。彼らは建設(雇用契約)が終わると移住することが多いため、そういった転居ごとに内装を新しくしたりしている。そのような社会背景のもと、結果的に労働者の一時居住によって伝統的住居が維持されているという現状は大変興味深い。それでも女房たちが集まって麻雀を楽しんだり(牌が大きい!)サッシがきれいに装飾されていたりと、快適に使用されていた。

2009/09/03

大山子798芸術区

数日前より北京に来ています。今回は研究調査で延安に行くのですが、乗り継ぎの関係もあり、実は北京は初めてだったりするので2-3日前乗りしてもろもろ駆け足で見学中です。

工場をリノベーションしたことで有名な大山子798へ。工場やその周辺施設一帯のかなり広いエリアにギャラリーやアトリエが入っているのでまるで学園祭のよう。ギャラリーはバイヤーの買い付けを期待しているため、ほとんどのものが無料で見れるが、ほとんどは通りに面しており入口の障壁が少ないのはよい。銀座などだとなかなかそうはいかないし、よくも悪くも学園祭的である。なんだかなぁというのもあるけど、これがタダ?というような大空間の展示なども少なくない。

UCCAという美術館(洒落たレストランなども併設されていて、こちらもよい)が唯一15RMBの入場料だったが、それはそれで良質な展示が見れた。巨大スクリーンでゲームをすることができるFeng Mengbo『REATART』や巨大展示室に子供の顔の旗が並んでいるYan Pei Ming『LANDSCAPE OF CHILDHOOD』などは圧巻。

『REATART』は約4.5m x 20mほどのスクリーン2面に囲まれた展示室に、横スクロールのゲームの画面(スーパーファミコンレベルのいかにもゲームな感じ)があるのだが、実はこれがプレイできるのだ!とコントローラーを借りて、やらせてもらった。なんだかすごい体験。基本的に、マリオやスト2など何かのゲームが組み替えられており(オリジナルっぽいのもある)そこをどんどん進んで行く。敵はやっつけても無視してもあまり関係なく、谷に落ちたりしてもゲージが減る(画面の主人公下には常に満タンのゲージと「5」と出ている。が、減らない)事なくRESTARTできる。左の壁の画面をクリアすると右の壁へと進み、クリアするといろいろなバリエーションの面が出てくるが終わりがあるのかないのかわからない。いろいろな場面で敵がたくさん出てくるが、RESTARTを無限に続けるとどうでもよくなり、進むことの価値も、死なないために頑張ることの価値も、敵と対峙してどうこうするという価値も薄れてくる。そうしてRESTART(=GAME OVER)自体の価値を再考する、といったことだろうか。

このふたつなどは明らかにこういった大きめの美術館的なスケールを前提としていたのが印象的。他にはピンぼけした人物写真の色をいじってキラキラつけたりして、ダウングレードしているのに、アップグレードして見えるよ!的なYan Lei『SPARKLING (UPGRADED)』など。

2009/08/10

責任の外部転嫁による「いわれのない攻撃に耐えるヒーロー」という内戦ソリューションの確立

アメリカより帰国しました。復習しておこうと読んだ、内田樹『街場のアメリカ論』(2005、NTT出版)、ここ最近世間を賑わしている覚せい剤事件にも若干関連(内容自体は関係ないが)するような章があった。

訴訟社会に関する項で、日本が最近導入した裁判員制度(本書は2005年だからそれが決定した頃の文章)の最大の意義(と説明されることが多い)である「アメリカを初め欧米諸国がやっているから」ということの危うさを、陪審員制度の問題点をあげながら指摘しているのだが、それをアメリカの持つ病理の指摘にまで展開するところが面白い。

まずアメリカの弁護士ドラマ『アリーマイラブ』を例にあげ、「陪審員制度というものが要請されたのは、市民の生活実感に照らして納得のゆく評決が「よい評決」であるというアメリカの法意識が存在するから」「どの陪審員にも受け入れられる等身大でシンプルな物語スキーム(ここでは愛と金)で人事をめぐる様々な出来事が説明されてゆく」ことからアメリカにおける「市民参加型」陪審員制度の問題点を指摘する。

また、裁判映画の古典シドニー・ルメット『十二人の怒れる男』(アメリカ、1957)は、初め11人が有罪を主張するが、主役のヘンリー・フォンダのみが無罪を主張して逆転、という映画。彼の忍耐強い説得によって適当に有罪にまとまりかけていた結論をひっくりかえすのだが、内田は、そのヒーローがいなかった場合に有罪になっていた可能性の恐ろしさととその確率の高さ、その逆転劇すらも、他の陪審員達が「やっぱり有罪」というなら自分も有罪でいいや、という適当さの存在のもとに成り立っているのではという恐ろしさ、さらに「自分の価値観に微塵の疑いも抱かないようなイデオロギー的確信を持った人間(主役のヒーロー)がひとりいると、周囲の人はどうしてもその確信の強さに引きずられる」傾向を指摘する。

これらの抱える問題はO・J・シンプソン裁判、マイケル・ジャクソン裁判など実際の事例でも同様であるし、多量に存在する弁護士達の巧みな説得・リードによって陪審員達がコントロールされることが多いのは明らかなわけである。内田はそういったアメリカの、弁護士や訴訟事例なども含めた裁判制度への信頼性を問題視しているのだが、それをアメリカ的なるもの、「内戦ソリューション」の適応であると議論を展開していく。

トマス・サスを引いて「現代では盗人は『クレプトマニア』(窃盗癖患者)であって、本人は窃盗の行為に責任を取らなくてよい。彼はただ彼の与り知らないどうにも統御できない欲動に外部から衡き動かされたにすぎないのである。」「放火犯は『ピロマニア』(放火癖患者)である。同じことは強姦魔にも、賭博狂にも、、、」と、「犯罪者が精神病を理由に免責を求めるアメリカの風潮を厳しく批判し」「個人の自由意志を否定し、すべてを個人の外部にある『病因』に帰することで、社会を『非人称化』しようとしている」とし、このような避け難い他者からの攻撃を「構造的な矛盾」ととらえることがアメリカの危機管理の基本であるとする。

そのように、身に起きるさまざまのトラブルについて自らの責任を反省するよりも前に、まず加害者を探し出して、「いわれのない攻撃を受ける被害者」となろうとするアメリカの「他責的なマナー」が、失敗から学習するという習慣の欠如を生むのだという。このような「社会矛盾を弥縫して、解決を先延ばしにするためにはもっともよく用いられる」のが「内戦ソリューション」であり、このようなアメリカ化(そう振る舞うことが正しいという歪んだ思想の浸透)が進むことでモンスターペアレンツの問題などが増加しているという日本の現状の説明にまで発展させているのが面白かった。

2009/08/09

サンフランシスコの朝市とWal Martから見る自由主義と均質化

サンフランシスコのシヴィックセンター近くで朝市を見た。今回の旅で他に意識的にマーケットを見る事は少なかったのであまりいい加減な事は言えないが、良くも悪くも非常にリベラルな、自由主義を感じた。朝市に並ぶ野菜の荷台が大きく、ひとつの野菜(商品)の占める面積の割合が明らかに多いのだ。アジアなどでよく見られるのは、多様な種類を混ぜて、鮮やかにディスプレイすることが多い。それに比べてここでは、まるで卸専門の市場のように、ひとつのものを大量に陳列している店がほとんどだった。人々はそれらの野菜達を自分で「自由に」選んでおり、穿った見方をすればそのように「自由に」選べる権利を主張しているかのように思えた。

食料品から日用品など生活に必要なものがすべてそろう巨大なWal Martにも何度か行く機会があった。アメリカではコンビニか、Wal Martか、くらいしか日用品を買う選択肢がなく、週に一度か2週に一度、車で乗り込んで大量に買い付けをするのが一般的だそう。スーパーとドンキが合体して巨大な倉庫の中に入ったようなもの。ここにくればなんでも揃うから何を選択するも自由ですよ、という環境を与えられているようで、これも安直な印象ではあるが、とてもアメリカっぽい。

消費行動においてできるだけ消費者に選択の自由を与えるべしという、資本主義の原則のようなことを行っているようで、その実はかなり均質化しているように思える。どこに行っても同じなのもあるが、店が消費者の自由な選択を可能にするために「なるべく多種のものを大量に並列に並べる」という仕組みの元、販売の意思を放棄しているように見えるからである。今日は○○がたくさんとれたから大量に安く、とか夏に合わせてビール特売を、とか○○が賞味期限間際だから割引、などといったことをせず(しているのかもしれないが、数店覗いた限りではほとんど感じられなかった)に、すべて並列に大量にならんでいるのである。

日本の本屋で各店が競ってポップを掲示するようなことがかなり特殊なことだとどこかで読んだ覚えがあるが、いかに差別化を図るかに苦心するような我々からすれば、ただなんでも与えられるようなやり方が自由だとは思えない。資本主義の根幹は差異の形成であり、消費者に自由を与えることではない(自由な市場は前提であるが)のではないだろうか。他にも日本で言う大店法規制にまつわる問題(いわゆる郊外型大型店舗の出店による地元商店街等の衰退)のようなものはなかったのだろうか、などといろいろ好奇心はわいてくる。

もちろん、一度にものを大量に買うというアメリカ的生活習慣もこういった文化の定着の要因としてあるだろうし、そもそもそういったアメリカ的なものを否定する気はまったくない。それはそれで非常に面白いし、アメリカ的なものを実感として分析するのも今回の目的のひとつではある。ただどこも同じってのだけが、ちょっとなぁ、、と。

2009/08/02

街としてのゲッティセンター

数日前からアメリカ西海岸に来ています。今日はゲッティセンター(リチャード・マイヤー設計)を見学しました。リチャード・マイヤーの集大成と言われる作品であり、石油王ゲッティの膨大なコレクションを、ロサンゼルスを一望できる広大な丘一帯に展示した巨大美術館。

まず、車でハイウェイからアクセスしようと走っていると、EXITの標識に「GETTIE CENTER」と出るのに驚いた。その丘には他に何もないこともあるが、「街」と同レベルの扱いとなっている(google社も道に「google」の標識があったが、ハイウェイの標識とは、、)ほどの存在感で、門を入ると地下7層の駐車場がある。そこで車を停め、エレベーターで地上(表示には「パーキングレベル1-7」と「トラムレベル」しかないのがよい。下手に「2F トラム」とか書かれていない )に上がるとトラムで丘の上の美術館まで10分弱。このアクセス方法は、丘の上に巨大美術館があるということを嫌でも意識するため、悪く言えば「権力の誇示」であるが、よく言えば美術館が置かれた「文脈の俯瞰視の提示」である。単純に気分は盛り上がるので、アミューズメントとしては正しく機能していた。

もう一つ驚いたのが、完全に無料(駐車場は15ドルとやや高だが)であって、現在でもかなりの来館者があること。子供から老人、外国人までかなりいろんな種類の人がいたが、まるで公園に来るように、賑わっている。展示は割と古典的なものが多い。人は展示室内部にももちろん多いが、その外の中庭や広場(多種の広場が設計されている)に人が多い。これだけのコレクションを無料で開放することもすごいが、丘の上(ロス中心部から30分程度だが周りには何もなし)の美術館にこれだけ人が集まるという文化的底力を感じざるを得ない。本当に、丘の街というような存在で、市民や観光客が休日に一日かけて遊びに訪れるような場所になっていた。

建築としては集大成とは言え、既知のボキャブラリーで作られているため、空間構成は気持ちがよいが新鮮な感じはしない。上質なリゾートといった感じ。ただ、すべての建築の壁や床や中庭も含めて、800角の白いパネルと、削り出しのトラバーチン、磨かれたトラバーチン(に加えて4割の200角のトラバーチンを細部にあしらう)といった同じ寸法体系でつくりながら素材を変えていくという手法はよかったと思う。マイヤーは丸などの幾何学も入れたり環境に合わせて軸を振ったりしているけど、現代的なアプローチとしてはそのことに集中できるように余計なこと、主題をぼかすことはなるべくしないだろう。そもそもゲッティセンターの設計のこの操作を主題と読んでいるのも意識的な誤読である。でもそのようなコンセプト偏重にしたときに、このような「リゾート」的な、誰もが心地よいと感じる豊かさが出せるかどうかは難しい。

2009/07/10

アフリカのインフォーマル・セクター

武内進一「コンゴの食糧流通と商人 -市場構造と資本蓄積」(池野旬・武内進一編『アフリカのインフォーマルセクター再考』アジア経済研究所, 1998)

アフリカのインフォーマル・セクターについての論文、抜粋・整理します。

アフリカにおいて商業・流通部門は、インフォーマルセクター(政府による規制を受けず、捕捉されない経済部門)の重要な構成要素である。
アフリカの食糧流通に関する研究が本格化したのは1970年代以降。
商人に対して、情報ギャップを利用して不当に高いマージンを獲得し、農民や消費者を搾取するという古典的な商人像は否定される傾向にあり、むしろ経済発展におけるその積極的な役割を評価する論調が支配的になった。市場介入的な政策がことごとく失敗に終わったアフリカ諸国の事例を考えれば、民間商人のイニシアティブを尊重するという潮流はとりあえず妥当である。

キャッサバは、都市、農村を問わずコンゴで最も重要な主食であり、そのほとんどが国内の小農によって生産される。キャッサバは土中から掘り出すと短期間に劣化するため、ほとんどが農村部で加工されてから流通する。調査によれば出荷地域の相互の重なりは少なく、農村地帯においては出荷のために交通機関を選択できる状況にはなく、トラックが3/4を占める。
ふたつの市場の調査で、流通業者のなかでは、トラックを自ら所有し、自己商品の割合が高い男性、というカテゴリーが65.3%、57.5%と最も多い。ただ、片方の市場に不明(8.0%)が多い(もう片方はほとんど0)。つまり片方の市場のみに運輸業に特化している者が1割弱いたということである。これは自分で商品を運ぶトラックすら所有せずに、大商人が買い付けて市場に運んでいる、ということを意味する。

東南アジアの農産物流通は異なって、流通業者のあいだに階層的な分業関係は存在せず、彼らの経済活動はより自律的である(組織化されていない)ようだ。
農民がキャッサバを販売する相手はいつも決まっていることが多い。その活動範囲はたいてい決まっており、広範囲にわたって「なわばり」のようなものが存在する。ただし、取引関係の固定性は必ずしも買い手に価格支配力があることを意味しない。
著者の作成したマージン推計の計算式によれば、トラックを所有する大商人が一回の農村群と市場の往復によって巨額の利潤を得ていることが明瞭にわかる。逆にトラックを賃貸しなければいけない大商人は、高額の賃貸料によって獲得するマージンは低く、運輸の専門業者は一回あたりのマージンはそれほど高くないが、リスクが少なく利潤率は高い。小商人は生存維持水準にすぎない。
つまりインフォーマルセクターであっても、大規模な活動によって高蓄積を実現する経済主体と、小規模・零細主体とが混在しているのである。同時に運輸サービス市場の寡占利潤が農産物市場の寡占利潤に比べて高水準であることを示唆するものである。結局はトラックを所有するか否かが大きい。

このような格差を生む要因として、トラック購入のために金融市場の未整備と、トラック所有にともなうリスク(悪路による故障など多く、保険もほとんど効かない)があげられる。逆に、このような要因によって、トラックのレント料が高騰し格差を拡げているとも言える。したがって政府介入の策として単にトラック購入補助などの直接的政策だけでなく、道路整備、金融・保険市場の整備など、公汎な政策が必要とされるのである。

2009/07/09

計画学の拡張を支える観察眼的思考

古谷誠章『がらんどう』王国社, 2009

僕の師でもある古谷誠章の新著、過去の論文を再編集したものであるが、さすがに出典が古い。10年以上前の文章すらある。では内容が時代遅れか、というと意外とそんなことは感じさせず、古谷の設計時における、「自由な計画」手法につながる「現象の解釈」手法について、といった内容が、実作を中心に述べられる。多くの引き出しから多様な技を繰り出し、人々をどんどん引きつけてその気にさせていく話術(ストーリーの構成能力)は、あの人噺家だからネと妬まれることも少なくないほどだが、そういった論理的でありながらイメージを喚起させるようなネタがどこから生まれるのかを検証することができる。

古谷は計画学の拡張を試みる建築家として捉えられることが多いが、その原点は多角的な観察眼的思考にある。表題となった『がらんどう』は、多目的に使える一室空間についての考察であって、一般的な「一室空間で可動間仕切りがあればなんにでも対応」概念に抵抗するものである。すべてを満足させようとして対応可能な状態にすると、すべてについてそこそこしか満足できないという状況が往々にして起こる。ただ空箱を用意するのではなく、どんな空箱かということが話題の焦点であるべきだという観点から、傾斜の広場、ヴェネツィアの水、太田省吾の舞台、らせんの形、家具の色、駅舎ホームでの人の行動、見え隠れの関係、空間における新旧、異国の都市のふるまい等、様々な空間のもたらす効用を考察する。

コンペなどの審査員を多く手がける古谷によれば、近年の学生のアイディアコンペは案がいくつかのタイプに固まる傾向が強く、その中でも特に「多様な行動を誘発する一室空間」タイプが蔓延しているという。室と室の関係を考える結果、その「つながり」が、唯一フツーの部屋割りで出来た建物との差別化の手法として定着しているせいか、結果としてかなりの案が一室空間タイプのバリエーションにすぎないらしい。おそらく2000年前後によく(改めて)話題になったnLDK批判(家族形態の変容)から派生したものだが、もちろんそうした形式自体を否定する必要はなく、一室空間タイプでいいアイディアもそれなりに出ているとは思う。ただ、それらの問題点は(見慣れた形式に回収されるという批判は除いたとして)その多くが創られた空間が及ぼす効果の「期待」に留まっており、効果に対する信頼性に欠ける、ということが多い。ある目的で特異な形態が生まれたとしても、それが特異な形態を生むための恣意的な効果の設定である場合や、あいまいな効果の設定である場合では、社会的な価値は薄まる。また、それは計画を放棄することにも近い。そうならないように、出来たモデルを確実に効果的なものとするための手段として、あるいはそれを効果的であると説明するための手段として観察眼的思考があり、そうした多くの観察から生まれる保証された操作の集積が、古谷の建築思考の根幹となっている。

2009/07/07

ランドスケープへの懐疑

landscape network 901*編『ランドスケープ批評宣言』INAX出版, 2002

ランドスケープという言葉は、不思議な麻痺作用を持っている。ランドスケープのデザインというと、何をやっていてもだいたい承認されてしまうような部分が少なからずある。それは自然は尊い、緑豊か、といった免罪的な概念と等しく、受け取る側の批評する言葉を奪うからであろう。そんなランドスケープに対して批評の言葉(=新たな作法)を発見しようというのが本書である。冒頭で山内彩子が述べている「誰しもイメージとして「ランドスケープ」のスタイル(型)があり、それらが無意識のうちにどこかで共有されているのではないか」というランドスケープ幻想をどう扱うかというのが、ひとつの軸として設定されている。

高橋靖一郎「自然をみちびくデザイン 引用と模倣を超えて」では、自然が「都市の諸問題をあぶり出すカウンター」としての役割を担って来ており、自然の中で緑化というヴォキャブラリーを適用しても必然性がないように、都市に包含されるものとして自然が扱われてきたとする。自然という免罪符のもと「既存デザインのコピー&ペーストを繰り返したような」公園の再生産、「緑の質と量の確保に豊かな都市生活のイメージを重ねた理想像の提案」が繰り返されている中で、「対象となる空間の環境改善にどれほど寄与してきたかを自覚的に見極めること」と主張する。

小野良平「公園の近代 制度の誕生と計画論の隘路」は、公園が近代社会によって生み出された制度であるとし、「公園の有用性の議論は終わることなく繰り返され、現在でもたびたび国の審議会などの話題となり、かつての機能論と変わりない議論の中、機能のメニューだけが変化」するにすぎないことを指摘する。公園を機能でとらえるのはユニークだが、しかしその通りである。座る、歩く、緑、集まる、運動するといった機能は、公園においては(空間的に)あってないようなものだが、そんな公園に対して機能でものを語るということは、もともと少ない論点を抽象度をあげて並べているにすぎない。建築以上に細やかな計画、作法が必要とされるにもかかわらず、緑、いいですね、運動広場、ああ健康的ですね、遊歩道、憩いの場ですね、といったように公園の計画を機能で議論することの無意味さがまかり通っているようだ。

他にも数人によってランドスケープといった枠組みそのものへの批評がなされており、その中でも新鮮な概念を提示しているものもあるが、全体としてはいまだにランドスケープを正統に評価する軸はぼんやりしているように思える。それはおそらくイメージの問題(=個人の嗜好に影響される)か、建前的な機能の問題(=デザインの捨象)の中間点が提示されにくいことによる。とは言っても、もちろんいいランドスケープデザインはそれなりに実現されているのだがその中で、これは新しいぞ、といえるようなものが少ないように思えるのは、やはり理論不足であるという状況にあるようだ。手法が発見・分析されきっていない、と言うべきか、視る側の評価軸不足というべきか。

クリストの布が何かを表現したものではなくて、何かを可視化するものであることのように、現代においてはデザインによって何かを表現することより、デザインによって何か状況を変えることのほうが優位にあるとされる。とすると何かを表現しようのない(ドバイなどを除いて)ランドスケープデザインは、それがなかったことに比べて、知らされることで初めて体感できる割合が多いわけで、より高度な概念を持ち得るはずなのだ。ひとつの方向性にすぎないけれど、そういった概念としてアースワーク的なものが参照されるべき部分は多いのに、本書にそういった項目がないのが少々残念。

2009/07/05

世界中で進むギャンブル合法化とそのジレンマ

「ギャンブルの合法化は途上国を救うのか」(COURRIR JAPON Vol.035, 2007.9)

マカオがギャンブルを合法化したのは19世紀。中国の特別行政区となり2000年過ぎ頃よりギャンブルのメッカとなった。収益ではラスベガスを既に抜いたらしい。今日、合法ギャンブルは世界中に広がっているが、合法化の流れが押し寄せているが、主な理由としては、
1 東欧、中南米、アジアにおいて都会の中流階級が台頭し、可処分所得を持つ人口が増大したことによる。
2 それらの先制政治国家が大きく民主的に変化しつつあるなかで、国家が道徳規準を決めることについての反対というか、自由化が進んでいるという。例えば人種に関する法律と厳しい社会的基準を政府によって植え付けられてきた南アメリカ共和国でも、ギャンブルやストリップなど従来制限されてきた活動が自由化されつつある。
3 インターネットでクレジットカード使用によるオンラインカジノが国境の壁を無効にしたのも事実。オンラインカジノ市場は2010年には240億ドルにまで成長する見込みだ。
4 世界全体で5000億ドルの年間収入をもたらす観光産業(今や世界で最も多くの人を雇用する大規模産業である)の競争の激化も大きな要因のひとつ。観光客も増えようとしている状況の中、各国の観光資源には限りがあり、伝統を大量生産していかないといけないのであり、新たな観光資源の創出にやっきになっているという。シンガポールがカジノを計画しているのも、小さい国の文化遺産には限界があるからである。

しかし、ギャンブルの合法化は表に見えない深い影響を及ぼす可能性があると記事は指摘している。犯罪などの弊害は地下ギャンブルの合法化により減少するが、膨大な消費者債務が、発展途上国の国家の財政を脅かす可能性があるというのだ。かつて現金のみ流通していた国においてカードが慣習化され、例えばロシアでは個人消費者への融資が4年間で15倍(10億ドル→150億ドル)に増え、自己破産が急増している。また、カジノにおいて創出される雇用は、技術を生まないサービス業のみであり、なまじ雇用が増えると、マカオで起きたデモのように、カジノで大儲けする外国人らとの所得格差が不満に変わるという。

カジノを創る側の論理は、税収入アップ、雇用の創出、非合法カジノ(マフィアがらみ)の一掃、観光資源の確保、などメリットはいろいろあるのだが、世界中でそれをやってしまうと効果はともかく、面白くない。カジノというものが、ディズニーランドに変わる「土地の文脈を必要としない観光資源」と捉えられているようだが、それは少なくとも「他では体験できない体験」を提供できるからであって、本当に各国にカジノが出来た時には、一部のギャンブル好きを除いて(彼らだってどこでもできるのなら旅行の時くらいは別のことをしたいハズだ)旅行するたびにカジノに行くとは思えない。創りたいけどみんな創ると価値が下がるというジレンマを抱える。ということは、本当はバナキュラーなカジノ構想が求められているのではないだろうか。各国の伝統的非合法ギャンブルを体験できたり、祭りでゲームをするようなカジノなんていいかもしれない。というか、そうなったら実はカジノはもうおまけであって(ギャンブルを合法化する口実)いつでも祭りが楽しめるような祝祭空間であるほうが重要になってくる。そんなものが出来たら新たな、しかも文脈を必要としない(あるいは文脈を客が勝手に想像してくれる)良質な観光資源になるに違いない。

2009/07/03

観光社会学の論点

須藤廣・遠藤英樹『観光社会学 ツーリズム研究の冒険的試み』明石書店, 2005

観光社会学に関する本書であるが、様々な研究者の言説を整理しており、良くも悪くも要点キーワード集(キーセンテンス集)かのよう。ただ観光という分野の研究が要領よく解説されているため、とても読み易く勉強には最適であるし、単純に面白い。そんな本書にならってキーワード的に引用を羅列し、さらに整理してみます。

■観光社会学の対象と視点
A・ギデンズによれば、伝統社会の人びとがローカルな状況に埋め込まれていたのに対し、近代社会の人びとはローカルな状況から引き離されるのだとされる。ギデンズはこれを「脱埋め込み化」とした。
観光をめぐっては、「ツーリスト」「プロデューサー」「地域住民」の三つの立場がある。
E・コーエンは観光経験を「気晴らしモード(日常からの脱出)」「レクリエーション・モード(心身の疲労をいやす)」「経験モード(生活様式や価値観を経験)」「体験モード(生活に参加・体験)」「実存モード(永住)」の五つのタイプに分けている。
G・ドグシーによる「イラダチ度モデル」によれば、観光が地域住民に与えるストレスが「イラダチ」を増大させる。そのプロセスは、1.幸福感 → 2.無関心 → 3.イラダチ → 4.敵意 →5.最終レベルとなる。
観光のオーセンティシティ(本物らしさ)をめぐって、D・J・ブーアスティンはメディアによって演出され造り出されたイメージのほうが現実感を持つという「知覚のありよう」を「疑似イベント」としている。「観光客の欲求は、彼自身の頭のなかにあるイメージが、観光地において確かめられたとき、最も満足する」と、ツーリストたちがただメディアによって構成されるイメージを追認しているにすぎず、彼らの経験が疑似的で人工的なものだと考えている。
それに対しD・マッカネルは、ツーリストたちは、単に疑似イベントでは満足せずにオーセンティシティを求め、結果的には擬似的で人工的なパスティーシュ(模造品)に満ちた「表舞台」と、オーセンティシティに満ちた「裏舞台」が交差する、ねじれた空間を旅しているとする。
U・エーコは、蝋人形館ではリアリティそのものが最初にオリジナリティとして存在し、それを人形という形でそっくり再現・複製することで成り立っているが、それに対し、ディズニーランドは参照されるべき、あるいは再現・複製されるべき実在をもってはいないと言う。ディズニーランドではすべてがファンタジーであり、コピーされる実存物などないのである。そのため、擬似的 / オーセンティック、コピー / オリジナルという区別そのものが無効化される。
ポストモダニズムの諸理論によると、もはや純粋な「現実そのもの」を考えることなど不可能であって、イメージや表象の外部に世界は存在しないとされる。世界そのものがメディア化されている。観光もまた同様であり、観光そものもがメディア化されているのである。

■観光の近代化と現代
観光社会学が確立されたのは、先進国において大衆が観光をするようになった1970年中葉であった。はじめてテーマになったのは、1974年にメキシコシティで開かれたアメリカ人類学会のシンポジウム。中世になると、旅行はもっぱら宗教的な「巡礼」という形をとるようになる。僧侶や裕福な者ばかりでなく一般の男女がヨーロッパのあらゆるところから、エルサレムやローマへと巡礼している。
日本でも、移動の自由のない一般の農民にとっては、伊勢参りや金比羅参り等の宗教的旅行は「巡礼」を隠れ蓑にした「日常」からの脱出であった。「抜け参り」という呼び名がまさにそれを物語っている。
大衆向けの観光旅行は19世紀の鉄道の普及と同時に始まった。イギリスでは、1841年にはトーマス・クック社が今のパック旅行の原型となるツアーを始めている。欧米における近代の大衆観光の興隆には、産業社会化、そしてその管理への意思が背景に存在していた。
労働者階級の日常的な合理化は、時間厳守といったような工場労働の規律の厳格化だけでは不完全であり、労働の裏側にある余暇の健全化、合理化が不可欠であった。とくに、18世紀のブランデーの輸入禁止から逆に国産のジンやビールを飲む習慣が蔓延したイギリスにおいて、飲酒の習慣を抑制することは、工場での労働規律を守らせるためにも至上命令であった。
熱心な禁酒運動のボランティアであったトーマス・クックが、禁酒運動の一環として健全娯楽である観光旅行を一般大衆に(とくにそれまで観光から閉め出されていた女性に)普及させようと努めたことは、この時代の観光のあり方を鮮明に表している。また、この時代に鉄道が急速に普及したこともトーマス・クックの観光の普及に大いに影響を与えている。
大衆の観光旅行が担った、社会の近代化に欠かせないもう一つの重要な役割は、大衆に対する「進歩」のイデオロギーの注入である。
トーマス・クックは水晶宮の設計者(ジョセフ・パクストン!)と鉄道会社の社長からロンドン万博への集客を頼まれ、全入場客の3%にあたる約16万人の見学ツアーを組織している。
近代観光は、いわば近代産業主義の「イデオロギー装置」であったと言えるのであるが、同時にそれは、世界中の「見慣れぬもの」へのあこがれ、すなわち「エキゾティズム」野幻想をかき立てるものでもあった。しかし、この「エキゾティズム」は西欧の文化的優位と東洋の文化的劣位を前提としていた。
欧米人の「オリエンタリズム」に触発され、それに呼応する形でそのまなざしの対象であった現地の人びとが、逆にそこから映し出された集合的イメージ(集合的アイデンティティ)をつくりあげるさまは、バリ島観光研究等で分析され紹介されている。
19世紀末にはすでにヨーロッパにおいてもアメリカにおいても世界は征服し尽くされ、「大きな物語」としての「見知らぬ世界」、すなわち大いなる「他者性」はもうすでにほとんどなく、「エキゾティズム」は「オリエンタリズム」に触発されながら人工的につくられていった。
19世紀末から20世紀初頭にかけては、ヨーロッパにおける「伝統の大量生産」の時代であったことも、観光におけるイメージの生産と通底している。
観光に欠かすことができない場所のイメージの生産と消費は、近代の産業主義と、それを支える国民国家の創造のための政治という、近代社会の二側面の共通の底に横たわるイデオロギーと大いに関係がある。
近代国家においては、観光が産業化され、大衆化され、システム化されることにより「観光現象」が社会全体に浸透していく。
ヨーロッパにおける観光現象の発端が禁酒運動やワンダーフォーゲル運動のように大衆の「健全な」余暇の開発を目的とした民間のボランティア的運動であったのに対し、日本における近代的観光現象の発端は学校や職場等の団体旅行にあった。学校が組織した観光旅行の代表は修学旅行であった。
重要であるのは、第一に学校教育が規律訓練的なシステムを物見遊山的なレクリエーション行事と混合させつつ定着させ、国民の余暇活動への欲望を、規律訓練と矛盾しない方向にかき立てたこと、第二に「見学」という実践教育を通して、若者達に国民国家の目標を指し示し、祝祭的な観光を利用しつつ何を見て、何を知るべきなのか、まなざしのあり方を学習させようとしたことである。
現代社会はあらゆる領域において「マクドナルド化」の原理である計算可能性、予測可能性等、近代合理主義の原理が支配しているために、人びとが観光に求めるような「新しくて異なるもの」などほとんどない。
観光は「マクドナルド化されていない要素とマクドナルド化された要素の適切な配合」によって洗練されるのであるが、皮肉なことに合理化を逃れようとする、あるいは合理的に対抗しようとするすべての手段もまたマクドナルド化されてしまう。結局、「ツーリズムはアーリが言うような非日常性を提供できなくなっている」のである。
たしかにブーアスティンの言うように、現代では「現実が疑似イベントにしたがう」ようになっているが、「疑似イベント」自身が多様化し個人化する現在においては、どのイメージがどの現実をつくり出し、それがどう人々に受け入れられていくのか、その過程は再帰的で流動的なのである。観光社会学の視線は観光の「偽物」性を告発する方向ではなく、闘いが行われている「場」の解明にこそ向かうべきなのである。

S・ラッシュは、ポストモダニズム文化の特徴を、1. 文化内容の「脱-文化」 2.「図像による」文化の形成 3.ポスト産業的中産階級の文化 の三つの点からなるとしている。
「脱-文化」についてはアーリは、経済、家族、国家、学問、道徳、美等に関する分野の(水平的な)分解と、文化と生活の区分、ハイカルチャーとローカルチャーの区分、アウラ的芸術と大衆芸術の区分、エリート消費と大衆的消費の区分等の(垂直の)崩壊に分ける。
「有名な」作品だけを簡単に解説しながらまわる美術館のツアー、買い物ツアーの観光客を前提としたものに変化する名門ブランドなど、観光文化がポストモダニズムのある側面を積極的に作り出していることに注目しなければならない。
ディズニーランド文化の特徴はその都市の中の人工的な「飛び地」性と関係している。ディズニーリゾートは観光地であるが、どれも都市の郊外にあり、何もない土地を人工的に造成してできたものである。特に東京など、アメリカ文化と関係の薄い文化的環境の中に突如「飛び地」としてアメリカ文化が成立しているところに特徴がある。
いまやただ空間を眺めるだけでは非日常性は得られない。観光客もスペクタルの一要素となる。これは近代がつくり出した視覚中心のまなざしの全域化であろうか、それとも視覚の先制の終わりであろうか。いずれにしても観光の中における演技的諸要素、身体感覚をともなう非日常経験がますます増大するのである。

2009/07/02

『アメリカ大都市の死と生』と都市計画におけるヒューマニティ

ジェーン・ジェイコブス, 黒川紀章訳『アメリカ大都市の死と生』鹿島出版会, 1977(原著は1961)

近代の都市計画が現実のものとなってきた1961年に、すでに近代都市の死を宣言していた本書。本書前半(4章あるうち原著の内の前半2章が日本語版として流通しているものであるが、本人の了承も得ているそう)は、安全性、人々の接触可能性、子供という3つの観点から歩道の重要性を解き、公園、近隣住区のあり方について主張する。要は下町的、ヒューマンスケールの都市礼賛であり、「輝ける都市」的な近代都市計画が人間性を失っていることへの強いアンチテーゼである。後半は「混用地域の必要性」「小規模ブロックの必要性」「古い建物の必要性」「集中の必要性」などを主張し、それらが多様な都市を生むとする。

そのような本書の主張のほとんどが現代においては自明なことのように感じられる。現代では反対しずらい<正しい意見>として成立しているものである。唯一意見が分かれそうなものが集中の必要性として「人々の都市集中についての消極的な感覚は、生き生きとした計画ができない条件を作り出してきたのである。都市自体にとって、あるいはその設計、計画、経済、あるいは人間にとって密度の高い都市人口が本質的に望ましくないという感情が先天的にあった。しなくてはならないことは、都市生活の発展に機会を提供するに十分に密で、そのうえ多様な集中状態において、そこに住んでいる都市の人々の都市生活を向上させること」と、優れた都市のためには高密度化が前提であるとしている点だろうか。これとてまったく新しい議論ではないが、少なくとも低密度を主張する反対派も多いだろう。あるいはコンパクトシティ論的には、余白を残すために部分を高密度化するというテーゼであって、人口増大(都市拡大)などの問題を前提に高密度を<受け入れる>のと、高密度を<促進>するのとでは差異がある。「下町の復権」などとまとめられることも多い本書の中で、この集中の項が同居していることが面白い。というかそこを本書をただのノスタルジーに落とさないぎりぎりの線だったのではないだろうか。

このような、集中するほどよいというのはまさしく複雑系的思考だが、スティーブン・ジョンソンが自己組織システム的な観点から、ジェイコブスが言う歩道の主張を「歩道は、正しい種類の局所的な相互作用を、正しい数だけ提供する。それは都市生活のギャップ・ジャンクションなのだ」(スティーブン・ジョンソン, 山形浩生訳『創発』ソフトバンクパブリッシング, 2004)と再評価している。歩道はアリのコロニーで言えば嗅覚のようなものであって、働きアリ達が嗅覚でコミュニケーションをとるからコロニーが成立する、つまり都市における創発を支える媒介であるとする。車がなぜいけないかということについてジェイコブスは比較的ノスタルジックな主張に留まっていたが、ジョンソンの言うように系からはずれるから、という単純なことである。そこから考えれば、現代においてはいかに系を設定するか、ということをもっと重要視するべきだろう。ヘッドホンして歩く人とその他の人はある側面では違う系として見られるべきかもしれないし、ヤンキー、主婦、老人、外人等、人種や階級でカテゴライズされた人々、普段ふれあうことのない人々がネットとか趣味とか(趣味は比較的キャラクターのカテゴライズに関係してくるから単純ではないかもしれないが)の別の系でつながる仕組みを考える、あるいはそうなりつつある系の運用の仕方を考える必要があるかもしれない。

もう少し本書を斜めから読むと、あたりまえのこと言っているようでも、古典としての扱いで引用され続けてきた、ということの意味を考えるべきかもしれない。1961年だとしても、近代都市計画に反対した人が他にいないわけがなく、皆が近代都市に夢を持っていたということを差し引いても新しい非人間的な計画(あるいは発展)への憂慮があったのは明らかである。様々な議論がされており、ゾーニングひとつとっても喧々諤々だたったにちがいない。そんな中で本書が画期的に新しい視座をもたらしたと考えることはできないし、つまり本書の主張が反対派の擁護に使われたり、計画を押し進める側のエクスキューズに使われたりと、政治的に扱われてきた、という面は否定できないだろう。

現在の都市計画は本書が主張するような「既知感たっぷりだが、正しい」ヒューマニティを盛り込んだ、都市計画が主流である。ヒューマンスケール、エコ、緑、風の抜ける街路、安全、コミュニティなどのポリティカルコレクトネスをちりばめる。そんな正論を主張されても新しくない、つまらない計画じゃないか、なんて批判も実際のクライアントや世論の前では価値がないのはあきらかで、普通であっても正しいことの積み重ねでものごとが決定されていく。他と同じでも快適ならよいではないか、と。もちろんそれはいいことなんだけど、というかそれらは最低限であって、それ以外のところを問題の焦点にしていかないとだめ、というのがなかなか伝わりにくい。そんな中で、生活する人々の系を操作するというのは、社会の変化とも関係してくるし、面白いテーマかもしれない。

ところで、本書の主張の軸は多様性が必要だということであるが、いまだに変わらずにむしろより必要であるとすら思われるその主張は、この時代から始まった流行だった。しかしなんとなく『建築の多様性と対立性』(原著は1966年)がそのようなことを言い出した最初のように感じていたが、年代を整理してみると本書のほうが5年早かったようだ。

2009/06/30

ヒップホップの社会的価値

S・クレイグ・ワトキンス, 菊池淳子訳『ヒップホップはアメリカを変えたか? もうひとつのカルチュラルスタディーズ』フィルムアート社, 2008

本書はアメリカにおいて、ヒップホップムーブメントが社会にどういう役割を果たしたかを分析しており、前半はヒップホップの歴史。ランキングの集計の仕方の変化がシーンに大きな影響を与えていたりしたことなどを明らかにしたりと、ただ「知っている人は知っている」事実の羅列だけでなく、ディテールもしっかりしており読み応えはあった。後半はヒップホップと政治や社会との関わりを中心に描いている。ポイントは社会に対しても文化に対しても「既存」のものへのカウンターカルチャーとして発達してきたヒップホップが、いかに社会にコミットするようになってきたのか、実際のところどれほど影響を与えているのかという点。

ヒップホップという文化ではそもそも地域に密着しているものとしての意識が強く、自分がどこの出身であるか、どこに住んでいるか、といった個人の背景 / アイデンティティが重要視される地域主義的な側面が強い。同時にアメリカ社会の貧困問題とも密接な関係をもつ文化であるため、貧しく危険なストリートこそがリアルである、というイメージの植え付け、保守的な文化や既存の体制への抵抗ムーブメントであるというイメージが先行してきた。結果としてそういったイメージを持つものに商業価値が付随するようになったが、そのような、ハードコア / ギャングスタ / ストリート / ゲットーといったスタイルは、実は企業がヒップホップを「売る」ために定着させたイメージにすぎないという。もちろん一部は本物であり、特に地域密着という概念が強いために全く偽のイメージだけで売れるほど甘くはないはずだが、売る方も買う方も皆がそのイメージに引き寄せられていたことは間違いない。これが、本書がヒップホップを題材とし、カルチュラルスタディーズであるとする主張の根幹である。社会を変えたことは間違いないが、それが悪い方向に向いている(文化を享受する若者の悪役信仰を煽るという意味で)ことを批判する大人によって作り出されている、という矛盾をはらんでいるという。

少しヒップホップとは離れる(本書は「ヒップホップ」と「若者」の関係を少し混同、というかすり替えている感がある)が、カリフォルニアでは2000年3月に有権者の62%の賛成によって「提案21」と呼ばれる青少年犯罪の厳罰化が始まった。このことがもたらす二次的社会問題、これに対する活動家の主張が面白い。厳罰化により服役囚の数が激増し、刑務所や厚生施設を拡大・増設するために設備費・人件費が膨大なものとなるという問題があり、そしてそのような刑務所関係の予算を増やしたがために削減された教育費によって、貧困層の若者が「必然的に刑務所行きになる」という現状を生んでいるという指摘である。しかし実は、90年後半、青少年の犯罪は減少傾向にあり、犯罪率は下がっていたのに、犯罪の低年齢化・凶悪化というメディアのイメージが先行してしまい、高まる世論を利用した立法だった(政治家ピート・ウィルソンの個人的な野望であった)という事実があった。法・政治・世論などはイメージ / 雰囲気に支配されてしまうということを改めて認識させる事例であった。

というようなことに対して、カリフォルニアでは反政治的コンサートの開催や、有名なヒップホップアーティストの集合による、彼らなりのやり方の抗議集会などが繰り返されている。そのような状況は、よくも悪くも若者 / ヒップホップが政治にコミットしていると言えるし、社会に影響を及ぼしているのは確かであるようだ。しかし本書で述べられているのはここまでで、タイトル通り、変えたのか?戦えたのか?といった疑問の投げかけで終わっているところが少々物足りない。ただ盲目的に、社会を変えているのだ!と主張するだけの文章を避けているのは正しいと思われるが、社会に対して発言したりアクションを起こすというのは、ヒップホップに限らずにしばしば行われるムーブメントであって、それをもって社会との関係性を語るには少し弱いように思われる。その点で、「若者」というキーワードを「ヒップホップ」という現代的カルチャーに置き換えただけという部分は否めない。音楽を中心に若者の「文化」を変えたのは間違いないが。政治運動との関係性というある種既知の事実よりも、グラフティと都市景観の問題、ブロックパーティ(屋外のクラブイベント)等の場所性から見る都市の公共空間、ファッションや映画などの先攻分野におけるヒップホップの影響、などを具体的に明らかにしてくれたほうが多角的な視点を与えるという意味では意義があったかもしれない。

こういったいわゆるサブカル / 下位文化を扱うことは、1980年代のブームであったとされがちだが、この感覚はおそらく今の世代には共感されない。僕もこの世界に半分くらい足を突っ込んでいるが、文化はどんどん変容しているし、ただのカウンターとしてのサブ / 下位という枠組みで捉えきれなくなっていることを事実として実感しているからである。社会とも絡んできているし、社会も変化する中で、ただの趣味・娯楽の問題ではなくなっている。さらに「下位」の中にも主流や亜流やカウンターなどが混在しており、メインカルチャーからの流入には極端に敏感だったり、ひとくくりに出来ない複雑性を持っているし、どちらかといえば現代は「メインって何?」というのが時代の空気であるとも言えよう。より複雑化した現代において、人が何故メインから逸脱し、カウンター / サブ / 下位を欲するのか(逸脱の中にさらに逸脱も起こる)ということは、文化の逸脱論として改めて研究の対象になるのではと思っている。

2009/06/29

客観的かつ主観的な映像表現

ガス・ヴァン・サント『エレファント』アメリカ, 2003

1999年のコロンバイン高校銃乱射事件を映画化したもので、乱射事件が起こる当日の学校の様子を描いた映画。数人の登場人物(大人以外すべて素人でセリフもすべてアドリブ)の一日の行動をそれぞれ長まわしのカメラワークで追う群像劇タイプだが、画面の中心に歩く人物を置きながら、被写界深度を変化させることで極度に周囲をぼかす映像が斬新な「視線」に関する映画であると言える。人物を追っている時は、ほとんど周りがぼけているため他の環境表現は捨象される。着ている服の色や、繰り返される(時間的には何度も繰り返される)たわいもない会話などでかすかに判別できるようになっている程度だ。

また、登場人物に重み付けをせずに一人ずつ章立てになっている形式で、実行犯ですら同様に描いているため、主人公はいない。つまり多くの登場人物を客観的に、誰かに過度に感情移入させることを避けるように描いているのだが、その客観性(前章でたわいない話をしていた女子の横を通りすぎるだけ、とか)と極度に主観的な映像を組み合わせていることが面白い。「客観的、かつ個人に没入可能な主観性を併せ持つ」といった感じだろうか。ずっと一人の動きを追っているところにふっと入ってくる他者(別の章の登場人物である)が、実にドキッとさせる。関係を持った友人とすれ違うときにはその友人も急にフォーカスされ、前章に出て来た人物でも関係性が希薄だとぼやけたまま(存在を一瞬感じる程度)で何事もなかったかのように進んで行く。そういった視線の交錯が見事にリアルで、現実の感覚を持っていながら現実では体験できない緊張感を生んでいるのである。

「アクソメ的」を多視点かつ説明的、「パース的」を一視点かつ体験的とするならば、言うまでもなく本作品は両者を交互に、自在に使い分けていると言える。この、短時間の、客観的かつ一瞬で個をとらえる映像表現は、実在の事件を題材にしたというすでにストーリーバレが明らかな映画(ほとんどの観客は俯瞰的=アクソメ的にものを見てしまう)において、非常に有効に思われた。事件を上から俯瞰的に描くだけでも、人物にフォーカスしてその凄惨さを体感させるだけでも、映画としてはいまいちだっただろう。特に大きな動機もなく犯行を犯したと言われている実行犯の少年とそれを生んだ社会、という事件の枠組みは、「人が違えば考えも違う」的な、一歩引いた客観的な態度と、「そうはいっても社会とは関係なく個人は生きている」的な、極度な主観性のどちらも無視して捉えることはできないはずだ。それらを「視線」の交錯という概念でうまく捉えたことがカンヌ映画祭などで評価(パルムドールと監督賞)されたのだろうし、パース的 / アクソメ的といった「視線の問題」を考える上で重要な視座を与えてくれている。

2009/06/28

アクソメ的思考からの逆流

坂牛卓「景観・法・建築家」(『10+1 No.43 特集 都市景観スタディ』INAX出版, 2006所収)

本論文は東京都の景観規制のひとつである「眺望の保全に関する景観誘導指針」(2006年4月に東京都が景観法の条例化にさきがけて策定した指針。当時、神宮外苑絵画館、迎賓館、国会議事堂を対象にそれらの後方の視界に入る建物についての規制)について、それがパースペクティブな観点から成立していることを指摘、ロンドンの景観規制(セント・ポール大聖堂や国会議事堂の眺望を確保するものであるが、対象物の後方だけでなく前方も規定)がアクソメ的観点の指針であることとの違いから、建築に対する視点に関しての論を展開している。東京の「誘導指針」で前方規制がないことは、ロンドンと違って「指定建物を遠景から眺め下ろすような場所がないから」らしい。坂牛は、東京都が指定したそれらの建造物が「並木によって強調されたパースペクティブなシンメトリー軸上から見るように作られたパース的建物群」であるとし、この条例がパース的視点にしか対応していないことから「景観に関わる本質的な問題」つまり視点とはパースか?(1視点か?)という問いを投げかける。1視点のパースに比べ、アクソメは多視点、視点の移動を可能にしながら時間性を内在させることがキュビズムと相同性があるとし、近代以降の建築はアクソメ的だと言う。

坂牛は「都市の中にはパース的視線によって作られた歴史的建物と、アクソメ的視線によって作られたモダニズム以降の建物が混在する。その量はロンドンのような西欧の古い都市では前者が多く」「東京では後者が多い」と指摘(それは自明のことかもしれないが、モダニズム以前 / 以降をパース / アクソメ的視点の違いという部分に着目しているのが新鮮だった)する。そしてパース的建築物の保護は歴史的観点から(パース的=前近代的としているから)妥当としながらも、「眺望指針」がアクソメ的景観へ対応できるかどうかを問う。そこから建築する際に不可避的に参照することになる隣接建物が過去のものであることと、都市計画的な大型プロジェクトの隣接建物が過去でない(一体的な開発)ということを比較しながら、アクソメ的視点が生む「<部分>の関係性」や「パラドックス化を回避するためには自己の外部に参照点を見つけること」であり、それらの伴う時間性を考えるべきといった主張に展開させるあたりはなるほどと思わせるものがあった。

現在の建築表現の主流としてパースかアクソメかと言えば、完全にパースであると言えるだろう。しかしそこで話題にされるのは視点の在処や性質の問題ではなく、リアルか、リアルでないか、であることが多い。パースは見たままを写すことから(画角がリアルかどうか、表現がリアルかどうかは関係なく)リアルなものとみなされる。それに対してアクソメは、リアルではないが構成把握のためにはわかりやすいものとして、説明的なものとして、利用される。もちろん建築表現の技術が進んでよりリアルなCG的なパースが普及し(あるいは施主が求めるようになった)たことも関係あるだろうが、雑誌やコンペのメインの絵でアクソメなどまず出てこない。つまり今の若い世代にとってみたらパースが現代で、アクソメが現代以前なのであり、近代以前のある時期(ルネサンス)にパースが「発見」されたにすぎないのだ。

そんな、パースが現在でアクソメが過去、と思っているような状況に対して、最近僕らはカウンター的に(計画学的な確信ももちろんあったのだけれど)アクソメ思考を利用しようとしていたのだが、それがカウンターでもなんでもないことを改めて感じさせられたようだ。少なくともパース的思考よりは現代的だとは思っているが、現在日本の建築界に多く見られるパース的思考の亜種として蔓延しつつあるような「雰囲気派」も、そうした観点からすればアクソメ的思考だったのかもしれない。そう考えると、世界の建築がその表現の過剰さも相まってパース的思考に逆流しているように思える中、日本の傾向をアピールする一つの武器としてアクソメ的思考がある、と言い張るべきなのだ。きっと。

2009/06/27

手法論の現在性

磯崎新『手法が』美術出版社, 1979

磯崎新の初期三部作として『空間へ』『建築の解体』と並ぶ本書、『建築の解体』 は今なお(今だからこそ)褪せることない斬新な概念を提示(紹介)している名著であるが、『手法が』は<手法>というものを焦点に論を扱っていることに時 代を感じざるを得ない。当時においてもおそらく「あえて感」はあったのだろう。しかし手法という誰でも使用するものを言語として顕在化し、自分の主張に引き寄せ るという磯崎の(それこそ)手法が「あえて手法を論ずる」ことであり、そうしたメタ的な概念操作は非常に高度であると感じる。

本書の手法 論の初出は1972年。1970年代というのは「近代建築への批判」、「反近代建築的なもの」が一段落して熱が冷めた時代であると言える(60年代の構想 の実現が難しかったことも無関係ではないだろう)が、1972年に『ラスヴェガス』(邦訳は1978年)、1978年に『錯乱のニューヨーク』といったよ うに、「建築への反抗」が「建築自体の失効」に変化していった。60年代的なものをまとめた『建築の解体』 (発行は1975年)、それに対して設計での解答を示そうというのが本書であると理解できる。建築が解体されつつある時に、その<手法>をあらためて取り 上げておきながら、しかしそれこそがプロの建築家による設計を「手法」というツール化することで解放させる、解体そのものであった。「かくして、<手法> は、空間内に混成系を成立させるためにうみだされるのだが、それは、対象に応じていくつも開発されていい。個人の手の痕跡をひたすら求めようとするのは、 必ずしも手法にはなりえない」と、ツール化されることで、建築家の職能がもはや主題ではなくなることを示し、「常に選択可能で、無名化した操作の系とし て」解放する。そして「一種の自動律をもって自己運動するような方式に支えられて、はじめて手の恣意的な痕跡が消滅しはじめるのである」

恣 意的な痕跡が消滅しはじめるとどうなるのか。政治性をはらみ、記号となり、修辞(構成要素の配列に変化を加えること)へと展開していく。「デザインがデザ インだけとして論じられ」ず、「外在する論理からの評価も、建築への真実の姿をおおいかくす」ことに目もくれず、<手法>が別の意味を持ちながら、それ自 体自立するようになる。そうして「結果」としてのデザインよりもその「過程」が主題になっていく。

こういった論が現在の、プロセス重視= 受け手(施主)にやさしい建築という図式、建築界で絶えず続いている設計の恣意性について議論、あるいはアルゴリズムなどの新しい設計手法(形態決定方 法)の探索、等の流れにつながっていくのだろう。逆に言えばそのような概念の系譜を意識的に創ったのは磯崎であると言えるのかもしれない。

このサイトについて

私は大学で、建築設計を専門とする研究室に研究員として籍をおく、デザインと理論の両立を目指す建築家 / デザイナーです。
研究室所属という曖昧な立場を利用して、フリーランスとして設計 / デザイン活動をしつつ、研究活動もしつつ、研究室のプロジェクトに取り組んだりしています。
30歳も過ぎ(建築業界では30歳なんて「新人」以下のぺーぺーな存在ですが)少し大人にならなきゃと、活動の幅を拡げるためにひっそりとこのサイトを立ち上げようと思います。

建 築家は建築(=それを使う人の行動 / 時間)を創る職業であり、ものごとの本質に対する多角的な洞察なくして創ることはできません。常に批判的な眼で社会をながめ、ものを考え、あらゆることを 吸収しようとしています。日常的には、人が座るとはどれくらいの高さが快適なのか、建物の外壁とはどういう役割を果たすべきものなのか、といったことか ら、建築の歴史文化的な意味や、社会と人々のふるまい、都市の特質とはどういうところから生まれるのか、といったことを「思考」することが仕事であると 言っても過言ではありません。

よい建築家は、クライアントや仕事によって常に新しいものを創っていくものだと思います。それが各々の固有 の状況に最適な提案となり、そういった挑戦の積み重ねが文化となっていくからです。つまり、よい建築家は常にアマチュアとして振る舞うことを要求されてい るのです。与えられた状況によって常に初めてのことをしようと試みます。そこで、唯一確保すべきプロフェッションとして、世界に対する批評的思考があるべ きなのです。という大義名分を言い訳に、経験という名の遊びに精を出しながら、広く浅くたまに深く、サイトを更新していこうと思います。

お そらく他のすべての時代でも同様にそうであったかもしれませんが、今の若い世代(70年代後半~80年代前半生)の人間は、モダニズムやポストモダニズム から何から様々なイデオロギー、イズムを過去の歴史として並列に学び、それらがキーワード / データベース化されて閲覧可能な状況の中で育ってきました。そんな中で、ものごとに対して何が重要で、何が重要でないか、といった価値感に絶対性はないこ とを痛感しています。過去のものを新鮮に感じたり、有効だった概念が突如通用しなくなったりと、状況と受け取る人間の状態によって、すべては相対的である はずです。

建築論の話題でも社会全般の話題でも同様に、日本では何かが流行れば人はみんな飛びつき、飽きるとすぐ捨てられてきました。あ る考えがよしとなればそれ以外の考えは排除され、政党支持率にしてもささいな出来事で上げ下げを繰り返し、日常の事件や流行に過剰反応したメディアは偏っ た報道を繰り返すことで現象の可視化を湾曲させ、その度に人々の価値観が偏向するといった、極度の単一性(一極化)思考 / 指向があると言えます。そのような性質のもと、いろいろな運動や価値ある概念が過去のものとして葬りさられ、現在流通する多くの概念が過去の繰り返しであ るにもかかわらず、無視され、渦中の人間は流行遅れ扱いをされ、過去との違いのみが強調されます。

そうした中で、僕らは社会を俯瞰し、事 象の並列性を逆手にとって大人(社会)に立ち向かっていくしかありません。歴史をキーワード化することによる関係性の捨象、文脈の意図的な切り離し、「現 代的」という名のもとの再編集をすることが必要なのだと思います。何にも縛られることなく「知らないふり戦略」を用いることができる世代であるからこそ、 社会を再解釈する先に、新しい視点に到達する可能性を持っているのではないでしょうか。