2009/10/23

ミシェル・ゴンドリーとAKB48

本日の研究室ミーティングの中で、ミシェル・ゴンドリーとAKB48の話題(なんの研究室なんだか笑)が出ました。ミシェル・ゴンドリーが監督したケミカルブラザーズのPV『Starguiter』、短かったし映像と音楽がずれていたようで、いまいち意味がわからなかった人もいるかもしれませんが、電車の疾走する映像の中で、曲のビート・効果音に併せて信号やポールやタンクなどがリズムよく反復されるというもの。( DVD『DIRECTORS LABEL ミシェル・ゴンドリー 』所収)

ミシェル・ゴンドリーの特長を一言で言えば、編集性にあります。既知のものを編集して置き換え可能性を提示する、つまり風景なんて要素を入れ替えてもなんら変わらないさと言わんばかりであり、同時にちょっといつものものを入れ替え+置き換えするだけで面白いでしょ、と言うような編集の妙です。

テクノロジーをあまり使わずに映像の組み替えアイディアが多彩なミシェル・ゴンドリー、それとAKB48のメンバー全員揃わなくても問題なし、という交換可能性のアイドルに共通点を見いだした、ということです。偶像であるアイドルのあり方が、これまでの「個人を束ねる」グループ系のアイドルとは(もちろん事後的にメンバーの一員が従来のアイドル化はするのですが)異なるAKB48とミシェル・ゴンドリー、さらに細胞が全て入れ替わっても自分の脳は脳であるといった「生物とは何か」問題、ベルナール・チュミの「空間と機能はすでに1対1ではなく、そこではもはやイベントと空間が断絶している」といった話題、時間変化に伴う社会の変化、ハコものとは何か、などの話題がいろいろ絡むと面白くなるのでは、と(書き散らかしてすみません)思っています。

2009/10/11

20XX年の建築原理展

銀座INAXギャラリーにて『20XX年の建築原理展』最終日にすべりこんできました。

本は読んでいたのですが、展示ではさらに多くのスタディ模型が順に並んでいました。そのスタディ(作業量)の多さについて、単純に本の内容に比べて「こんなにやっていたんだ」と感じさせる量で、同行者も同じ感想。プロセス本でありながらスタディの量を強調して掲載しない、掲載案を選別している、とはどういう編集の意図があったのでしょうか?本の質を高めるためにスタディ案を厳選する必要(似たような模型も少なくないですし)があったのか、展示とのギャップを演出(本→展示の場合は有効でも展示 →本の場合は、、?)することで新鮮さを与えようとしたのか、途中の議論を重視してあえて時系列的なスタディプロセスを表現しなかったのか?少なくとも本→展示といった僕の場合は非常に楽しめましたが。予想を上回る驚きをもたらす展覧会の実現とはそう簡単でないはずだし。

ともあれ、会場では平田晃久案と藤本壮介案の模型が時系列的に順に並んでいるのですが、両者の違いが興味深かったです。

山、ビルといったメタファーを使いながら、常に敷地地図と一緒に模型を作成して都市におけるインパクトを模索する藤本。ほとんど最後まで敷地模型なし、本体の形態の原理を追求する平田。それでいて最後には1/100の大きな模型作って敷地外はほとんど省略する藤本と、1/200で敷地外のかなりの範囲まで表現する平田。案の進め方も、平田案がピースの集積とチューブの集積で線形的に発展するのに対し、藤本案は、細長いビルの集積、斜めに密集するビル、イソギンチャク型、入れ子状の山、ポーラスな積層の山、といろいろなアイディアをトライ&エラー。

建築生成の原理を発展させようとする平田と、都市に対するインパクト創出の藤本という対比に彼らの設計スタンスが現れていたように感じます。ただやはり、このプロジェクトの二つの軸となる「建築の原理」と都市に対していかに建築を考えるべきかという「建築生産の原理」との乖離は免れていない。これは案が面白いから余計にそう感じるとも言えますが、展覧会では特に前者よりの印象。普通の人が見て「これは奇抜だけど、、よい!」と言うにはまだハードルがありますね。これはみんなの課題でもあり。


追記:本書(企画)の編集協力のmosakiさんに聞いてみたところ、プロセス本を作っていた段階(毎月建築家が案を出してくる段階)で既に、スタディが選定され、絞られていたとのこと。彼らにとっても展示の時に見た事のなかった多くの模型が出て来たと仰っていました。つまり、案生成のプロセスにおいては何を出すか、そこでそれぞれの建築家としての選定があり、最終案へと進むという、リアルなプロセスがドキュメントとして本になっており、展示ではそれらを振り返った時に裏から出て来た「プロセスのプロセス」としての模型が再編集されたメタプロセスとなって展示を構成していた、といったことですね。そういった二段階のプロセスの提示であるという、ドキュメント企画としては極めて興味深い見方が出来る展覧会でした。見逃した人は本を熟読すべし。

2009/10/07

逗子のCinema Amigo

一昨日の日曜日、旧友がこの夏にオープンさせた逗子のCinema Amigoというお店に行ってきました。ミュージシャンでもある彼、残念ながらその日は遠征していたようで会えませんでしたが、店のコンセプトが大変面白かったので紹介します。

2階建ての住宅の1階部分を改装したこのお店、夜は映画館として映画を上映、バーとしても営業しているようです。昼はカフェとして、ランチを出しているのですが、なんとシェフが毎日変わる、と!昔お店で働いていたけど子供が出来て毎日は厳しい女性や、スペイン修行から帰国して自分のお店を出す準備期間のシェフなど、曜日によってランチが変わるのです。しかもそのジャンルも様々。行く時に「今日はスペイン料理のランチです」と言われていたので?と思ってはいたんですが、、。


この店はミュージシャン、写真家、インテリアデザイナーの3人でやっているそうですが、壁にかかっている写真も非常に魅力的、店内は昔の映画館から持って来たようなイス、ソファー、アンティークな小さな机、ローテーブルなど、センスのよい家具(統一されていないのが非常に心地よい)に囲まれています。

さらによくみると値札のついた小物などもあり、一角に花屋(これまた別の方)コーナーがあり、隣のパン屋(水仕込みで木金土しか営業しない)のパンも日月火はここで売るらしい、と。もう、やりたい放題なんだけど、非常に効果的なタイム(&スペース)シェアリングの形態と言えるでしょう。逗子まで行かれる方は是非。

cinema-amigo.com

2009/10/04

建築の社会的価値の変容の追求

伊東豊雄・藤本壮介・平田晃久・佐藤淳『建築20XX年の建築原理へ』INAX出版、2009

INAXギャラリーで行われている『建築20XX年の建築原理へ』展の本書、ギャラリーにはまだ行けていない(来週まで?)のですが、読んでみました。4人が架空のプロジェクトを元に議論したり案を出し合ったりして建築をつくるドキュメント本。

タイトルとなっている新しい建築原理を模索するというテーマで、例えば建築の大学生や大学院生にとっての建築を考えるプロセス本(最良の部類だと思う)として「建築形成の原理」を、社会にまみれた大人のヒトに対して建築とはどういう社会的存在なのかを改めて問いかける「建築生産の原理」ふたつの軸があるようです。

建築案は大変面白く見れましたし、形態とかコンセプトとか建築そのものにももちろん興味がありますが、これくらいの規模の問題設定では、特に日本では社会にどう立ち向かうかといった枠組みの方を重視せざるを得ません。「奇抜だけど、意義有り!」というマニフェスト的なインパクト生成のツールとしてデザインが存在する、そんな感じがしています。

そのような建築生産の原理よりの気になった文言を以下、ざざっと抜粋・引用します。

平田:東京ミッドタウンのプロジェクトや高層マンションなどがぼこぼこ建っていますが、そういうみんなが知っている東京のプロジェクトをアトリエ派の建築家がやっていない p042
伊東:実際にはあそこで仕事をしたい人がたくさんいるのに、仕事をしてはいけないという約束があった。名目上はハウジングにして、住むことを前提にプランニングしないといけなかった。民間のマンションでもそういう規制はありますよね。現実と乖離している p044
平田:最近はマンションでも、同じ間取りが並んでいるのは流行らないらしいです。隣室の人の行動が透明に想像できてしまうから p044
佐藤:昔、鉄の値段が人件費よりもはるかに高かった時代は、力学を追究して鉄を減らした。その時代の架構は力学的にも純粋で美しい。いま日本では人件費のほうが高いので、例えば全部大きなH型鋼でつくってしまえということになっています p046
伊東:コンテクストを連続させながらも、巨大な高層建築が可能だという提案をしたい p92
平田:オフィスだと屋外空間の快適性を評価する指標がほぼないので、とりあえず住居から崩していくのもいいかもしれない。住宅のモデルで考えていって、そこに建築の新しい指標を見出すのがひとつのロジック p126
伊東:デパートでは上の方に人が上がらないかもしれないけど三井のマンションだったら上層階のほうが値段が高い p055
山本:パブリックとプライベートに分けるという発想は、近代建築の一番扱いやすい手法に戻ってしまっている p186
伊東:敷地周辺のパークタワーみたいな高層マンションには住みたくないって、ほとんどの建築家は思っている p189


ちなみに、平田晃久案は僕の昔の修士計画にやや似ております笑。空間を多数化することで建築・都市の価値を変容(パブリック-プライベート、外部-内部、住民-通行人、スキマ-ボリューム、経済原理思想-ノスタルジック思想、建築-都市)させるべしといった、概念的な思考も含めて。