2009/09/28

SDレビュー2009

今日は代官山ヒルサイドテラスにてSDレビュー2009(註)の最終日に滑り込んで見て来ました。とは言いつつ、4時過ぎに行ったらすでに終了しており、撤去作業の中あわてて見た感じ。

今年は建築的に眼を引くものが少なかったように思います。大学の研究室で取り組んでいるもの、外国人によるもの、海外でのもの、大きなプロジェクト、ワークショップを絡めたもの、構法的な提案など、「プロジェクトの枠組みバリエーション」を重視した審査だったことが想像できます。

気になったもの(半分は撤去中だったので、見逃したということで、、、)は、

中本剛志+リッチー・ヤオ『A Friend’s House in Arizona』
プログラムで分割した3つの長方形ボリュームが重なってできるアリゾナの住宅。非常に明快だし、アイディア一発のみで終わるのではとの予感もしていたが、それぞれの接合部も面白くデザインされており、なかなか密度が高いように感じた。ただし、「プログラムで3つに分割する」にかかわらず、3本のボリュームがほとんど同じ形態・デザインであること(様々なスタディ模型があったが、すべて3本が同じボキャブラリーでできている)に疑問が残る。全体が一つの形式を持つものであるからなお、個々の差異(プログラムごとに)が強調されたほうがよかったのではないか。

僕らの同僚でもある尹敏煥+李東勲+朴敬熙『Folding screen house』
折れ曲がった3つの素材の壁に囲まれて多様な部屋を創り出すという韓国の住宅。洗練された設計とプレゼンだったが、「3つの素材の壁」で構成する必然性があまり説明されていなかった。また、折れ曲がり方、高さによって多様な室が出来ているとはいえ、やはりどこも微差しか生んでいない。周辺環境が何もないようなところなので、ミニマルな操作によって劇的な差異を生むことを目指すべきだったように思う。そういった印象が感じさせるデザインの固さ(=自ら設定したルールに忠実)は彼ら流なので真面目でよいと思うが、例えば床に地形的な高低差を持ち込むだけでより3つの壁が生きていたはず。

などなど。他にも分散居住というプログラムは既知ながらもデザインの発展具合が面白かった畑 友洋『ネットワーク型集合住宅』、グラフィックが可愛く(個人的な好み)建築のファサード(材料)の設計プロセスを考えさせる藤田桃子+河野直+ケリー・フィンガー『Casa en Peru』、丘に2枚の穴のあいた壁が立つ幻想的な平山裕章+増田信吾+大坪克亘『たたずむ壁』など面白そうでしたが、いかんせん撤去中だったので内容は正確に理解できず、、でした。


註:SDレビューは若手建築家の登竜門と言われるコンテスト・展覧会で、実施を前提としたプロジェクトを対象に、入選した15作品程度の展示が行われるもの。実は僕も今年、とてもイケてるプロジェクトを出しましたが、あっと言う間に落選しました笑。審査員が理解しきれず、ということにしておきます。

2009/09/27

twitter

最近twitterを始めてみています。このブログは週に一度程度文章を、twitterでは毎日戯れ言を、というように棲み分けを図ろうとしていたのですが、なんだか混同してきて、しかも最近なかなか忙しいことから、なかなか更新できませんでした。なので若干、文章軽めに、更新多めにというように方向転換しようかと思います。
とはいっても、もともと日々の忙しさにかなり差があるタイプの人間ですので、うまく回せるかは疑問なところでありますが、、、

ちなみにtwitterアドレスです。フォローして頂けると幸いです。
http://twitter.com/Ko_Nakamura

2009/09/11

延安の窰洞(ヤオトン)近代化

延安にはたくさんの窰洞があるが、その多くが増改築がなされており、それなりに快適に人々が暮らしていた。山の側面にカオサン式と言い、都市部の周辺の傾斜地は窰洞で埋め尽くされているが、都市部が急激な近代化の過渡期にあり、高層マンション等の建設ラッシュが起きている。その建設ラッシュの労働力をあてに内陸の貧しいところから、労働者が移住してきており、そのような階層の労働者の多くが窰洞に住んでいるということが明らかになってきた。

いくつかの穴をひとつの家族が持っていることが主であるが、そういった穴の一部を労働者などに貸している例が多い。しかしそれらはそれなりに改築されており、伝統的な居住形態が生活とともに継続していると言えなくもない。彼らは建設(雇用契約)が終わると移住することが多いため、そういった転居ごとに内装を新しくしたりしている。そのような社会背景のもと、結果的に労働者の一時居住によって伝統的住居が維持されているという現状は大変興味深い。それでも女房たちが集まって麻雀を楽しんだり(牌が大きい!)サッシがきれいに装飾されていたりと、快適に使用されていた。

2009/09/03

大山子798芸術区

数日前より北京に来ています。今回は研究調査で延安に行くのですが、乗り継ぎの関係もあり、実は北京は初めてだったりするので2-3日前乗りしてもろもろ駆け足で見学中です。

工場をリノベーションしたことで有名な大山子798へ。工場やその周辺施設一帯のかなり広いエリアにギャラリーやアトリエが入っているのでまるで学園祭のよう。ギャラリーはバイヤーの買い付けを期待しているため、ほとんどのものが無料で見れるが、ほとんどは通りに面しており入口の障壁が少ないのはよい。銀座などだとなかなかそうはいかないし、よくも悪くも学園祭的である。なんだかなぁというのもあるけど、これがタダ?というような大空間の展示なども少なくない。

UCCAという美術館(洒落たレストランなども併設されていて、こちらもよい)が唯一15RMBの入場料だったが、それはそれで良質な展示が見れた。巨大スクリーンでゲームをすることができるFeng Mengbo『REATART』や巨大展示室に子供の顔の旗が並んでいるYan Pei Ming『LANDSCAPE OF CHILDHOOD』などは圧巻。

『REATART』は約4.5m x 20mほどのスクリーン2面に囲まれた展示室に、横スクロールのゲームの画面(スーパーファミコンレベルのいかにもゲームな感じ)があるのだが、実はこれがプレイできるのだ!とコントローラーを借りて、やらせてもらった。なんだかすごい体験。基本的に、マリオやスト2など何かのゲームが組み替えられており(オリジナルっぽいのもある)そこをどんどん進んで行く。敵はやっつけても無視してもあまり関係なく、谷に落ちたりしてもゲージが減る(画面の主人公下には常に満タンのゲージと「5」と出ている。が、減らない)事なくRESTARTできる。左の壁の画面をクリアすると右の壁へと進み、クリアするといろいろなバリエーションの面が出てくるが終わりがあるのかないのかわからない。いろいろな場面で敵がたくさん出てくるが、RESTARTを無限に続けるとどうでもよくなり、進むことの価値も、死なないために頑張ることの価値も、敵と対峙してどうこうするという価値も薄れてくる。そうしてRESTART(=GAME OVER)自体の価値を再考する、といったことだろうか。

このふたつなどは明らかにこういった大きめの美術館的なスケールを前提としていたのが印象的。他にはピンぼけした人物写真の色をいじってキラキラつけたりして、ダウングレードしているのに、アップグレードして見えるよ!的なYan Lei『SPARKLING (UPGRADED)』など。