2012/03/20

ウランバートルのエネルギー


先日モンゴルに行ってまいりました。気温はなんとマイナス10度~30度。モンゴルで住宅を供給している会社との打合せで行かせて頂いたのですが、モンゴルの冬を体感してみて欲しいとのことでこの季節に。しかしついてみると「大分暖かくなってきました」と仰っていて、最も寒い時期にはマイナス40度を下回るのだとか。ホテルを出る前に帽子(耳付き)と手袋とマフラーは持ったか毎回確認され、外では息を吸い込むのが痛いくらい、写真を撮ろうと手袋を外したりするのは1分くらいしか我慢できず、しばらく外に出て車に戻るとジャケットが凍ってばりばり音を立てる、といったような環境でした。もちろん髭も凍っています笑。

その一方で住宅やホテルでは床暖房あるいはオイル循環のヒーターが標準装備されており、室内はとにかく暖かい。暑いくらいです。ゲルでも石炭ストーブで中を暖めるため、中は非常に暖かいのですが石炭が公害として無視できないくらいの問題に発展しているとのことでした。ウランバートルの市内はとにかく石炭の臭いが充満しており、煙で星も見えないほどでした。しかしストーブをつけざるを得ない気温で、安い石炭が大量に使われる、この避けがたい問題に政府も頭を悩ませているようです。

ロシア統治時代に建てられた多くの建物は外壁も厚く、400-600mmくらいが通常のようで、外断熱で100mmくらいの断熱材を入れているとのことでした。泊まったホテルでは、全面床暖房で個別に温度が調整できないものだったので、暖かいを通り越して暑く、窓をあけて調節(実際窓が壊れていて苦労しましたが)したりしていました。外気マイナス30度、室温約20度、気温差推定50度のそんな室内には通常通り冷蔵庫があるわけなんですが、そこから出す水と比べて、車のトランクに入れておいた鞄の中のペットボトルの水のほうが断然冷たく美味しいわけです。

そういったところに本来不必要なエネルギーのロスがあるわけで、それはそもそも冷蔵庫が暖かくてモノが腐る国々の発明品であって、モンゴルの気候に合わせたものではない(もちろんモンゴルでも夏は冷蔵庫くらい必要でしょうが)のです。しかしその地に合わせた便利さをゼロから作るより、その発明を輸入したほうが安上がりであるのは明らかなわけですね。そんな状況と環境に驚きながら、ウランバートル市内のいくつかの集合住宅を案内していただいていたのですが、やはり、天然の冷蔵庫がありました。

学生寮の窓からぶら下がっている袋にはいろいろな食料を入れており、冷蔵庫を買うまでもなく快適に生活ができるのでしょう。もっとも、屋外の袋は冬ならば明らかに冷凍庫なので、室内には別に冷蔵庫があるのかもしれません。




2012/02/09

政治とワークショップ

2011年はブログを書く余裕等全くない程の、非常に多くのことを経験させていただきました。そのひとつが台北で行った東大と台北科技大のワークショップ。台北の国鉄が持つ鉄道の操車場跡地(正確には現在も稼働中、数年後に移転予定)の広大な土地をどう再利用するかを考えるというものでした。学生や他の先生方と一緒に台北に行き、現地学生と合同でワークショップを行い、帰って来てからも案をまとめ、Mid-termやFinal Presentationで計3回台北に出かけてきました。

提案の内容はどこかでお目にかけることができるかもしれませんが、それよりも興味深かったのは、ワークショップの前提とプロセスでした。まず、その跡地を有用に使いたい政府と、そうは言っても土地のオーナーである国鉄のコンフリクトが前提にあり、それを解決するための第三者的な立場として台北科技大主催のワークショップ(東大以外にもいくつか呼ばれています)が開催されたということ。そのため与条件として半分弱程度の床面積を国鉄側のものにする(オフィス的なものが中心、国鉄側が使うような用途であるべき)こと、残りの床面積で収益を生むようなプロジェクト(つまり通常の倍くらいの収益単価が望まれる)であることがまず与えられました。操車場ならではの古い鉄骨の架構やバスハウスなど、歴史的に保存・リノベーションするべきものは多いのですが、それらをただギャラリーにしてOK、ということではないというのが前提です。そのようなコンフリクトからなる制約が、通常のプロジェクトに比べて「より多くの収益を生む」ことを実現しながら、一方でその政治的状況を前進させるような第三者視点の「公共性の新しい提案」をも求められるわけです。

つまりこのワークショップはただいくつかの大学の学生が協同で案をつくってよかったねというのではなく、それらのピュアな学生(を率いる大学)の「意見」(もちろん台北の一市民でもある)を武器にプロジェクトを円滑に進めるためのものであり、形を変えた市民運動のようなものであったわけです。そんなわけでワークショップに関連してシンポジウムをしたり(その中で英語でレクチャーをさせられたりもしました。レクチャーというレベルに達していなかったように思えますが汗)展示会をしたり、やたらイベントとしての枠組みはしっかりしていることに感心、政治と建築デザインの接点を垣間みることができた経験でした。

そのような取り組みが成功しているのかどうかは定かではないですが、コンペをアイディアと実施の2段階でやるということが台湾で流行っているようです。これもおそらく似たような政治的な問題で、まず注目を集めたり、その土地なりプログラムなりに対する自由な提案を公募する、というところに意義があるのだと思います。そうでなければわざわざ大きな賞金(1000万円単位)を用意して実施とは別のコンペをやる必要がないわけですから。先日藤本壮介さんが1等となったタワーのコンペも以前にアイディアコンペがあり、全然違うものが1等になっていました。また昨年東大隈研究室で取り組み2等となった新北市市立美術館コンペも、今年第二段があるそうです。これらもワークショップと同じような第三者的なアイディアを募るイベントであるわけです。新北市市立美術館の時も関連シンポジウムが企画されていたりと盛りだくさんでした。

それらがその労力やコストに見合うだけのパフォーマンスとなっているのかはわかりませんしいろいろ裏もあるのは承知ですが、政治を動かす「イベント」として可視化されていることが非常に興味深いところです。少なくとも日本の密室の談合のような、公共なのにオープンにアイディアを募ることなく強行されるようなやり方よりはいいでしょう、きっと。

2012/01/04

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
2011年はいろいろありました。2012年はより様々な活動をしていければと思っています。
よろしくお願いいたします。

2011/08/17

Living Freedom

かなり前に撮ったものですがバンコクでの写真です。薬屋では夜、棚さえどければ車を中に入れて止めてしまうという、スペースの使い方は俺の自由だろ的な典型です。集合住宅のほうは、驚くべきことに廊下側の写真、つまり住人が歩くパブリックな側です。日本では道路等もそうですが、集合住宅といういわばプライベートな中ですら、"公共"の場所は勝手に使ってはいけないものになってしまっています。共用部ではドアの色やサッシュさえも変えることができない、というこの現状がいかに奇異なもので生活の自由を奪っているのかというこの現状を、少しずつでもいいから変えていきたいと(密かに)思っています。普段の生活にいかに自由を与えるか、それが建築と、それをとりまく社会の本来の役割なのではないでしょうか。



2011/06/14

南三陸ガソリンスタンド

南三陸で営業中のガソリンスタンドを見ました。なにをするにも道路・インフラはまず必須、これらの重要性は失われて初めて身に染みる類のものです。ものごとを撤去するために道路を敷き直し、電柱を立て、エネルギーを確保する、まずはそれらがないと作業もままならない。そんな基本的なことにすら驚くのは、それらが普段いかに当たり前のように存在していることだから所以に他なりません。

2011/03/09

東京建築コレクション

先週土曜日、東京建築コレクションの公開講評会を覗いてきました。展示だけみてすぐ帰ろうかと思っていましたが、ちょっと講評会が面白かったのでついずっと。午前プレゼンがあり午後はそれぞれの作品に対して「講評」を行う場という設定。

結果としてなんですが、今年のものは審査員の構成バランスが非常によかったです。ものすごい正統派な大野秀敏さん、社会性を重視(私的な論理を批判)の山本理顕さん、正しくも信念を曲げない山本さんの独壇場を許さない役割として対抗馬の長谷川逸子さん、アイディアマンらしい変わった視点を投げかける手塚貴晴さん、私的な論理を批判しつつもかっこ良い悪いのデザインに動物的に反応する伊東豊雄さん、修士設計として地味だけどきちんとしているものも拾うべきだという六鹿さんにまとめ上手の古谷誠章さん。

建築家の考えるべき社会性とは何かという議論、均質な空間にいると身体まで均質になるという空間追求の原点、日本の最低レベルの都市デザインに対しての課題の投げかけ、近年の建築家のインスタレーション急増を受けての建築家をていのよいアーティストとして扱いつつあるギャラリーとの関係性に示された強い危惧等。全国の大学院の修士設計にふさわしいものという議論として様々な課題が出た会。というよりTKCが5年目に入りその修士設計に求められる基準が整理されてきた感があります。これは極端に言えば日本の建築家としてどうあるべきかという方向性を社会に対して提示するもの。そこに修士設計と卒業設計の違いがあるのだという感じでしょうか。近年多く行われている卒業設計展でもここ5~10年話題になっているように、私的な論理で作られるものが多いのは確か。それらは往々にして個人的な感覚からスタートするものの、外的要因を外して「見たことないもの」を設計しようとするわけですが(そのためにわざと外的要因を外して私性を武器にする、というのも私性の流行りにのった後発的な傾向)、やはり修士レベルでは私的な論理ではなく社会性・プロジェクトの意義・建築学的な位置づけが必要であるというのは明らかなんだと思います。

そこまではよくある議論ですが今回は、その社会性というのはどういうものか、それは建築の発展において・建築家の仕事としてどれくらいの重要な位置づけなのかという議論がされたのがよかったです。当然簡単に答えは出ないわけですが、山本さんのように建築家としての前提であるとするのも、大野さんのように実務では施主がいて社会性は予めプリセットされているわけだからテーマを自分で決める修士設計において社会派テーマを選んだから社会性があると評価するのは少し違うというのにも納得。僕は、プロジェクトが一見社会と関係ない例えば形の論理等であっても、それが建築学のフィールドになんらかの寄与をするもの(設計手法に対して、とか)であれば十分社会的であると言うことができると思います。逆に言うと、そのような建築学に対する何がしかを持っているか否かが修士設計に求められるものでは、と。私的な論理で建築作ってこれいいでしょというのは問題外として、社会性ある(と言われる)テーマを扱ったからといってもそれだけでは修士設計としては不十分、提案の投げかけのみではない何がしかの「検証」や「意義の提示」があってしかるべきかと思います。その意味では手塚さんが最後に指摘したように、インスタレーションに近く提案の投げかけに終わっているグランプリ案には(新しいものを作ってはいたけど)若干反対です。

個人的には伊東さんも推していた「109カテドラル」がよかったです。それがNPOなんたらだと知ったときは?でしたが、カテドラルという祝祭性を伴った非日常の公共空間(という扱いだったような)を109という場所に求めるもの、建築も面白かったし(特に六角形の開口の変形で全体が構成されているのが、局所的な課題を解決しながら統一をもたらすという意味でよかった)、GLのデザインはよくわからなかったものの広いレベルで都市との関係を持っていたように思えました。それこそ一番卒業設計っぽい作品でしたが。

2011/03/05

公共空間の使われ方














明治通りの早稲田大学西早稲田キャンパス近くの風景です。いろいろ事情はわかりますが「これはヒドイ」レベル。なんでこんなことになってしまったのでしょうか。

ここ数年で明治通りの拡幅工事が一気に進み、これまで暫定的にあった低層部分が撤去されてきました。(道路の拡幅工事等は決定されてから皆の合意をとったりと、実際拡幅するまでに何十年も時間がかかるものなので、壊すことを前提として暫定的にものを建てることができます。それがここ数年で一気に撤去工事が始まっていたわけです。例えばコンビニの拡幅部分を壊して店舗を小さくしたり。)そうして出来た拡幅部分なのですが、通行人の侵入をいやがったとしても正しい公共空間の使われ方とは言い難いですね。

ついでに言うと日本では総合設計制度として誰でも使えるという建前の「公開空地」をつくると建築の容積を増やしてよいという制度がありますが、それによって出来た空地は寂しい限りです。ある「法」では都市に空地を作るという方向性を打ち出しているのに関わらず、それを積極的に利用したりいいものにするということを制限する別の「法」の存在故です。そもそも(少なくとも近年の)日本では「公共空間」はみんなのものであって「個人では自由に使えない」という意識が強いため、公共空間を有効に活用することは苦手と言っていいかもしれません。公共だからみんな使ってよいのですよ、というほうが自由な都市となるはずですが。

我々建築や都市をデザインする立場としては、強制的に(トップダウン的に)それはダメ、アレをしなさい、等と言っても仕方ありません。あるいはなんとかこじつけて、法でそのような類の行為に制約を課すことも自由な社会とは言えません。ごく自然にこの写真のような事態にならないような、自発的に行為を誘導するような方策が必要なのです。デザインとは見た目だけの問題ではもちろんなく、様々な社会問題や社会制度と関連しているのですが、それらを目に見える(体感できる)形で統合するのがデザインの役割であるわけで、所有者にも使用者にもただの通行人にも「嬉しい」状況をどう誘導できるかということを実践として試みていきたいなと思っております。

2011/03/01

写真の複数性

前回の投稿で中国の送電線の写真を載せた時に書こうとして忘れていたのですが、この1年ほど論文をまとめる中で、似たような写真を複数提示する意味というものを考えていました。我々は何かを伝えようとする時、どの表現が一番ふさわしいか、どのアングルを選ぶべきか、どの写真が一番いいか、等とつい情報を整理しがちです。それはもちろん正しいことであり、一種の職業病かもしれないのですが、同じような写真を複数提示することで見えてくるものは確実にあると思うのです。それは単純に言えば客観性。一枚の写真を提示して「〇〇でした」とするより、同じような状況を写した複数の写真があるほうが証拠としての客観性は高いわけです。あるいは注意深く並べられた違う環境の写真(なんだけどどこか似ている)によって、それらが潜在的に持つ構造を顕在化することができる場合もあるでしょう。そのように1枚の写真とその説明というセットでは表すことができない何かが「多数性」には潜んでいます。

それは特に写真というメディアが現象をそのまま写しとるものであることにも関連すると思います。それは1枚であれば湾岸戦争時の「オイルまみれの鳥」(関係ない別のオイル流出事故時の写真)が一面に出てイメージを形成してしまうということが起こり得る、非常に強力なメディアだからなおさらです。それが複数になれば証拠としての価値は一気に高まるのは明らかでしょう。

しかし、そもそも学術論文のような場で写真というのは普通は参考程度にしか扱われません。それは現象の観察において、何らかのデータを数値的にとること、写真に見られる状況を別の図版として記録すること等の2次的な「加工」のほうが重視されるためだからです。なのですが、都市の空間における現象を扱うような計画系の論文としては、そのように難しくそれらしく提示されるデータよりも、写真の写しとるものそのもののほうが重要なのではないだろうか、というジレンマを感じていました。現象の背後にあるメカニズムを顕在化させることが研究の目的のひとつだとすると、それはやはりその現象に表出されている、つまり写真でかすかに捉えられるべきものだと考えていたわけです。とは言えさすがに写真ばかりだとバカっぽさがあり、、、それをどう客観的に提示するか、と考えた末(というほど大げさなものではありませんが)似たような写真を複数枚提示することにしたのです。それらによって写真が事実を語るような構成、あるいはその編集が現象の構造を浮かび上がらせるような構成にできないかと。結果としてさらに写真が倍増してバカっぽさは増したわけなのですが(笑)、、、それなりに編集の意図は伝わる構成にはなったはずです。

それはそうと建築分野においてものすごく大雑把ではありますが、日本人建築家はプロジェクトのメインパース等の絵を厳選する傾向にあり、海外の建築家は似たようなアングルを変えたレンダリングを複数提示することが多いと言っていいでしょう。一枚の勝負絵で建築家の「意図」を伝えようとする日本のそれに比べ、似たような外観パースを並べて「建築のデザイン」そのものを表現しようとするという意識の違いが浮き出てきているのかもしれません。