2009/06/27

このサイトについて

私は大学で、建築設計を専門とする研究室に研究員として籍をおく、デザインと理論の両立を目指す建築家 / デザイナーです。
研究室所属という曖昧な立場を利用して、フリーランスとして設計 / デザイン活動をしつつ、研究活動もしつつ、研究室のプロジェクトに取り組んだりしています。
30歳も過ぎ(建築業界では30歳なんて「新人」以下のぺーぺーな存在ですが)少し大人にならなきゃと、活動の幅を拡げるためにひっそりとこのサイトを立ち上げようと思います。

建 築家は建築(=それを使う人の行動 / 時間)を創る職業であり、ものごとの本質に対する多角的な洞察なくして創ることはできません。常に批判的な眼で社会をながめ、ものを考え、あらゆることを 吸収しようとしています。日常的には、人が座るとはどれくらいの高さが快適なのか、建物の外壁とはどういう役割を果たすべきものなのか、といったことか ら、建築の歴史文化的な意味や、社会と人々のふるまい、都市の特質とはどういうところから生まれるのか、といったことを「思考」することが仕事であると 言っても過言ではありません。

よい建築家は、クライアントや仕事によって常に新しいものを創っていくものだと思います。それが各々の固有 の状況に最適な提案となり、そういった挑戦の積み重ねが文化となっていくからです。つまり、よい建築家は常にアマチュアとして振る舞うことを要求されてい るのです。与えられた状況によって常に初めてのことをしようと試みます。そこで、唯一確保すべきプロフェッションとして、世界に対する批評的思考があるべ きなのです。という大義名分を言い訳に、経験という名の遊びに精を出しながら、広く浅くたまに深く、サイトを更新していこうと思います。

お そらく他のすべての時代でも同様にそうであったかもしれませんが、今の若い世代(70年代後半~80年代前半生)の人間は、モダニズムやポストモダニズム から何から様々なイデオロギー、イズムを過去の歴史として並列に学び、それらがキーワード / データベース化されて閲覧可能な状況の中で育ってきました。そんな中で、ものごとに対して何が重要で、何が重要でないか、といった価値感に絶対性はないこ とを痛感しています。過去のものを新鮮に感じたり、有効だった概念が突如通用しなくなったりと、状況と受け取る人間の状態によって、すべては相対的である はずです。

建築論の話題でも社会全般の話題でも同様に、日本では何かが流行れば人はみんな飛びつき、飽きるとすぐ捨てられてきました。あ る考えがよしとなればそれ以外の考えは排除され、政党支持率にしてもささいな出来事で上げ下げを繰り返し、日常の事件や流行に過剰反応したメディアは偏っ た報道を繰り返すことで現象の可視化を湾曲させ、その度に人々の価値観が偏向するといった、極度の単一性(一極化)思考 / 指向があると言えます。そのような性質のもと、いろいろな運動や価値ある概念が過去のものとして葬りさられ、現在流通する多くの概念が過去の繰り返しであ るにもかかわらず、無視され、渦中の人間は流行遅れ扱いをされ、過去との違いのみが強調されます。

そうした中で、僕らは社会を俯瞰し、事 象の並列性を逆手にとって大人(社会)に立ち向かっていくしかありません。歴史をキーワード化することによる関係性の捨象、文脈の意図的な切り離し、「現 代的」という名のもとの再編集をすることが必要なのだと思います。何にも縛られることなく「知らないふり戦略」を用いることができる世代であるからこそ、 社会を再解釈する先に、新しい視点に到達する可能性を持っているのではないでしょうか。