2009/07/09

計画学の拡張を支える観察眼的思考

古谷誠章『がらんどう』王国社, 2009

僕の師でもある古谷誠章の新著、過去の論文を再編集したものであるが、さすがに出典が古い。10年以上前の文章すらある。では内容が時代遅れか、というと意外とそんなことは感じさせず、古谷の設計時における、「自由な計画」手法につながる「現象の解釈」手法について、といった内容が、実作を中心に述べられる。多くの引き出しから多様な技を繰り出し、人々をどんどん引きつけてその気にさせていく話術(ストーリーの構成能力)は、あの人噺家だからネと妬まれることも少なくないほどだが、そういった論理的でありながらイメージを喚起させるようなネタがどこから生まれるのかを検証することができる。

古谷は計画学の拡張を試みる建築家として捉えられることが多いが、その原点は多角的な観察眼的思考にある。表題となった『がらんどう』は、多目的に使える一室空間についての考察であって、一般的な「一室空間で可動間仕切りがあればなんにでも対応」概念に抵抗するものである。すべてを満足させようとして対応可能な状態にすると、すべてについてそこそこしか満足できないという状況が往々にして起こる。ただ空箱を用意するのではなく、どんな空箱かということが話題の焦点であるべきだという観点から、傾斜の広場、ヴェネツィアの水、太田省吾の舞台、らせんの形、家具の色、駅舎ホームでの人の行動、見え隠れの関係、空間における新旧、異国の都市のふるまい等、様々な空間のもたらす効用を考察する。

コンペなどの審査員を多く手がける古谷によれば、近年の学生のアイディアコンペは案がいくつかのタイプに固まる傾向が強く、その中でも特に「多様な行動を誘発する一室空間」タイプが蔓延しているという。室と室の関係を考える結果、その「つながり」が、唯一フツーの部屋割りで出来た建物との差別化の手法として定着しているせいか、結果としてかなりの案が一室空間タイプのバリエーションにすぎないらしい。おそらく2000年前後によく(改めて)話題になったnLDK批判(家族形態の変容)から派生したものだが、もちろんそうした形式自体を否定する必要はなく、一室空間タイプでいいアイディアもそれなりに出ているとは思う。ただ、それらの問題点は(見慣れた形式に回収されるという批判は除いたとして)その多くが創られた空間が及ぼす効果の「期待」に留まっており、効果に対する信頼性に欠ける、ということが多い。ある目的で特異な形態が生まれたとしても、それが特異な形態を生むための恣意的な効果の設定である場合や、あいまいな効果の設定である場合では、社会的な価値は薄まる。また、それは計画を放棄することにも近い。そうならないように、出来たモデルを確実に効果的なものとするための手段として、あるいはそれを効果的であると説明するための手段として観察眼的思考があり、そうした多くの観察から生まれる保証された操作の集積が、古谷の建築思考の根幹となっている。