2009/07/10

アフリカのインフォーマル・セクター

武内進一「コンゴの食糧流通と商人 -市場構造と資本蓄積」(池野旬・武内進一編『アフリカのインフォーマルセクター再考』アジア経済研究所, 1998)

アフリカのインフォーマル・セクターについての論文、抜粋・整理します。

アフリカにおいて商業・流通部門は、インフォーマルセクター(政府による規制を受けず、捕捉されない経済部門)の重要な構成要素である。
アフリカの食糧流通に関する研究が本格化したのは1970年代以降。
商人に対して、情報ギャップを利用して不当に高いマージンを獲得し、農民や消費者を搾取するという古典的な商人像は否定される傾向にあり、むしろ経済発展におけるその積極的な役割を評価する論調が支配的になった。市場介入的な政策がことごとく失敗に終わったアフリカ諸国の事例を考えれば、民間商人のイニシアティブを尊重するという潮流はとりあえず妥当である。

キャッサバは、都市、農村を問わずコンゴで最も重要な主食であり、そのほとんどが国内の小農によって生産される。キャッサバは土中から掘り出すと短期間に劣化するため、ほとんどが農村部で加工されてから流通する。調査によれば出荷地域の相互の重なりは少なく、農村地帯においては出荷のために交通機関を選択できる状況にはなく、トラックが3/4を占める。
ふたつの市場の調査で、流通業者のなかでは、トラックを自ら所有し、自己商品の割合が高い男性、というカテゴリーが65.3%、57.5%と最も多い。ただ、片方の市場に不明(8.0%)が多い(もう片方はほとんど0)。つまり片方の市場のみに運輸業に特化している者が1割弱いたということである。これは自分で商品を運ぶトラックすら所有せずに、大商人が買い付けて市場に運んでいる、ということを意味する。

東南アジアの農産物流通は異なって、流通業者のあいだに階層的な分業関係は存在せず、彼らの経済活動はより自律的である(組織化されていない)ようだ。
農民がキャッサバを販売する相手はいつも決まっていることが多い。その活動範囲はたいてい決まっており、広範囲にわたって「なわばり」のようなものが存在する。ただし、取引関係の固定性は必ずしも買い手に価格支配力があることを意味しない。
著者の作成したマージン推計の計算式によれば、トラックを所有する大商人が一回の農村群と市場の往復によって巨額の利潤を得ていることが明瞭にわかる。逆にトラックを賃貸しなければいけない大商人は、高額の賃貸料によって獲得するマージンは低く、運輸の専門業者は一回あたりのマージンはそれほど高くないが、リスクが少なく利潤率は高い。小商人は生存維持水準にすぎない。
つまりインフォーマルセクターであっても、大規模な活動によって高蓄積を実現する経済主体と、小規模・零細主体とが混在しているのである。同時に運輸サービス市場の寡占利潤が農産物市場の寡占利潤に比べて高水準であることを示唆するものである。結局はトラックを所有するか否かが大きい。

このような格差を生む要因として、トラック購入のために金融市場の未整備と、トラック所有にともなうリスク(悪路による故障など多く、保険もほとんど効かない)があげられる。逆に、このような要因によって、トラックのレント料が高騰し格差を拡げているとも言える。したがって政府介入の策として単にトラック購入補助などの直接的政策だけでなく、道路整備、金融・保険市場の整備など、公汎な政策が必要とされるのである。

2009/07/09

計画学の拡張を支える観察眼的思考

古谷誠章『がらんどう』王国社, 2009

僕の師でもある古谷誠章の新著、過去の論文を再編集したものであるが、さすがに出典が古い。10年以上前の文章すらある。では内容が時代遅れか、というと意外とそんなことは感じさせず、古谷の設計時における、「自由な計画」手法につながる「現象の解釈」手法について、といった内容が、実作を中心に述べられる。多くの引き出しから多様な技を繰り出し、人々をどんどん引きつけてその気にさせていく話術(ストーリーの構成能力)は、あの人噺家だからネと妬まれることも少なくないほどだが、そういった論理的でありながらイメージを喚起させるようなネタがどこから生まれるのかを検証することができる。

古谷は計画学の拡張を試みる建築家として捉えられることが多いが、その原点は多角的な観察眼的思考にある。表題となった『がらんどう』は、多目的に使える一室空間についての考察であって、一般的な「一室空間で可動間仕切りがあればなんにでも対応」概念に抵抗するものである。すべてを満足させようとして対応可能な状態にすると、すべてについてそこそこしか満足できないという状況が往々にして起こる。ただ空箱を用意するのではなく、どんな空箱かということが話題の焦点であるべきだという観点から、傾斜の広場、ヴェネツィアの水、太田省吾の舞台、らせんの形、家具の色、駅舎ホームでの人の行動、見え隠れの関係、空間における新旧、異国の都市のふるまい等、様々な空間のもたらす効用を考察する。

コンペなどの審査員を多く手がける古谷によれば、近年の学生のアイディアコンペは案がいくつかのタイプに固まる傾向が強く、その中でも特に「多様な行動を誘発する一室空間」タイプが蔓延しているという。室と室の関係を考える結果、その「つながり」が、唯一フツーの部屋割りで出来た建物との差別化の手法として定着しているせいか、結果としてかなりの案が一室空間タイプのバリエーションにすぎないらしい。おそらく2000年前後によく(改めて)話題になったnLDK批判(家族形態の変容)から派生したものだが、もちろんそうした形式自体を否定する必要はなく、一室空間タイプでいいアイディアもそれなりに出ているとは思う。ただ、それらの問題点は(見慣れた形式に回収されるという批判は除いたとして)その多くが創られた空間が及ぼす効果の「期待」に留まっており、効果に対する信頼性に欠ける、ということが多い。ある目的で特異な形態が生まれたとしても、それが特異な形態を生むための恣意的な効果の設定である場合や、あいまいな効果の設定である場合では、社会的な価値は薄まる。また、それは計画を放棄することにも近い。そうならないように、出来たモデルを確実に効果的なものとするための手段として、あるいはそれを効果的であると説明するための手段として観察眼的思考があり、そうした多くの観察から生まれる保証された操作の集積が、古谷の建築思考の根幹となっている。

2009/07/07

ランドスケープへの懐疑

landscape network 901*編『ランドスケープ批評宣言』INAX出版, 2002

ランドスケープという言葉は、不思議な麻痺作用を持っている。ランドスケープのデザインというと、何をやっていてもだいたい承認されてしまうような部分が少なからずある。それは自然は尊い、緑豊か、といった免罪的な概念と等しく、受け取る側の批評する言葉を奪うからであろう。そんなランドスケープに対して批評の言葉(=新たな作法)を発見しようというのが本書である。冒頭で山内彩子が述べている「誰しもイメージとして「ランドスケープ」のスタイル(型)があり、それらが無意識のうちにどこかで共有されているのではないか」というランドスケープ幻想をどう扱うかというのが、ひとつの軸として設定されている。

高橋靖一郎「自然をみちびくデザイン 引用と模倣を超えて」では、自然が「都市の諸問題をあぶり出すカウンター」としての役割を担って来ており、自然の中で緑化というヴォキャブラリーを適用しても必然性がないように、都市に包含されるものとして自然が扱われてきたとする。自然という免罪符のもと「既存デザインのコピー&ペーストを繰り返したような」公園の再生産、「緑の質と量の確保に豊かな都市生活のイメージを重ねた理想像の提案」が繰り返されている中で、「対象となる空間の環境改善にどれほど寄与してきたかを自覚的に見極めること」と主張する。

小野良平「公園の近代 制度の誕生と計画論の隘路」は、公園が近代社会によって生み出された制度であるとし、「公園の有用性の議論は終わることなく繰り返され、現在でもたびたび国の審議会などの話題となり、かつての機能論と変わりない議論の中、機能のメニューだけが変化」するにすぎないことを指摘する。公園を機能でとらえるのはユニークだが、しかしその通りである。座る、歩く、緑、集まる、運動するといった機能は、公園においては(空間的に)あってないようなものだが、そんな公園に対して機能でものを語るということは、もともと少ない論点を抽象度をあげて並べているにすぎない。建築以上に細やかな計画、作法が必要とされるにもかかわらず、緑、いいですね、運動広場、ああ健康的ですね、遊歩道、憩いの場ですね、といったように公園の計画を機能で議論することの無意味さがまかり通っているようだ。

他にも数人によってランドスケープといった枠組みそのものへの批評がなされており、その中でも新鮮な概念を提示しているものもあるが、全体としてはいまだにランドスケープを正統に評価する軸はぼんやりしているように思える。それはおそらくイメージの問題(=個人の嗜好に影響される)か、建前的な機能の問題(=デザインの捨象)の中間点が提示されにくいことによる。とは言っても、もちろんいいランドスケープデザインはそれなりに実現されているのだがその中で、これは新しいぞ、といえるようなものが少ないように思えるのは、やはり理論不足であるという状況にあるようだ。手法が発見・分析されきっていない、と言うべきか、視る側の評価軸不足というべきか。

クリストの布が何かを表現したものではなくて、何かを可視化するものであることのように、現代においてはデザインによって何かを表現することより、デザインによって何か状況を変えることのほうが優位にあるとされる。とすると何かを表現しようのない(ドバイなどを除いて)ランドスケープデザインは、それがなかったことに比べて、知らされることで初めて体感できる割合が多いわけで、より高度な概念を持ち得るはずなのだ。ひとつの方向性にすぎないけれど、そういった概念としてアースワーク的なものが参照されるべき部分は多いのに、本書にそういった項目がないのが少々残念。

2009/07/05

世界中で進むギャンブル合法化とそのジレンマ

「ギャンブルの合法化は途上国を救うのか」(COURRIR JAPON Vol.035, 2007.9)

マカオがギャンブルを合法化したのは19世紀。中国の特別行政区となり2000年過ぎ頃よりギャンブルのメッカとなった。収益ではラスベガスを既に抜いたらしい。今日、合法ギャンブルは世界中に広がっているが、合法化の流れが押し寄せているが、主な理由としては、
1 東欧、中南米、アジアにおいて都会の中流階級が台頭し、可処分所得を持つ人口が増大したことによる。
2 それらの先制政治国家が大きく民主的に変化しつつあるなかで、国家が道徳規準を決めることについての反対というか、自由化が進んでいるという。例えば人種に関する法律と厳しい社会的基準を政府によって植え付けられてきた南アメリカ共和国でも、ギャンブルやストリップなど従来制限されてきた活動が自由化されつつある。
3 インターネットでクレジットカード使用によるオンラインカジノが国境の壁を無効にしたのも事実。オンラインカジノ市場は2010年には240億ドルにまで成長する見込みだ。
4 世界全体で5000億ドルの年間収入をもたらす観光産業(今や世界で最も多くの人を雇用する大規模産業である)の競争の激化も大きな要因のひとつ。観光客も増えようとしている状況の中、各国の観光資源には限りがあり、伝統を大量生産していかないといけないのであり、新たな観光資源の創出にやっきになっているという。シンガポールがカジノを計画しているのも、小さい国の文化遺産には限界があるからである。

しかし、ギャンブルの合法化は表に見えない深い影響を及ぼす可能性があると記事は指摘している。犯罪などの弊害は地下ギャンブルの合法化により減少するが、膨大な消費者債務が、発展途上国の国家の財政を脅かす可能性があるというのだ。かつて現金のみ流通していた国においてカードが慣習化され、例えばロシアでは個人消費者への融資が4年間で15倍(10億ドル→150億ドル)に増え、自己破産が急増している。また、カジノにおいて創出される雇用は、技術を生まないサービス業のみであり、なまじ雇用が増えると、マカオで起きたデモのように、カジノで大儲けする外国人らとの所得格差が不満に変わるという。

カジノを創る側の論理は、税収入アップ、雇用の創出、非合法カジノ(マフィアがらみ)の一掃、観光資源の確保、などメリットはいろいろあるのだが、世界中でそれをやってしまうと効果はともかく、面白くない。カジノというものが、ディズニーランドに変わる「土地の文脈を必要としない観光資源」と捉えられているようだが、それは少なくとも「他では体験できない体験」を提供できるからであって、本当に各国にカジノが出来た時には、一部のギャンブル好きを除いて(彼らだってどこでもできるのなら旅行の時くらいは別のことをしたいハズだ)旅行するたびにカジノに行くとは思えない。創りたいけどみんな創ると価値が下がるというジレンマを抱える。ということは、本当はバナキュラーなカジノ構想が求められているのではないだろうか。各国の伝統的非合法ギャンブルを体験できたり、祭りでゲームをするようなカジノなんていいかもしれない。というか、そうなったら実はカジノはもうおまけであって(ギャンブルを合法化する口実)いつでも祭りが楽しめるような祝祭空間であるほうが重要になってくる。そんなものが出来たら新たな、しかも文脈を必要としない(あるいは文脈を客が勝手に想像してくれる)良質な観光資源になるに違いない。

2009/07/03

観光社会学の論点

須藤廣・遠藤英樹『観光社会学 ツーリズム研究の冒険的試み』明石書店, 2005

観光社会学に関する本書であるが、様々な研究者の言説を整理しており、良くも悪くも要点キーワード集(キーセンテンス集)かのよう。ただ観光という分野の研究が要領よく解説されているため、とても読み易く勉強には最適であるし、単純に面白い。そんな本書にならってキーワード的に引用を羅列し、さらに整理してみます。

■観光社会学の対象と視点
A・ギデンズによれば、伝統社会の人びとがローカルな状況に埋め込まれていたのに対し、近代社会の人びとはローカルな状況から引き離されるのだとされる。ギデンズはこれを「脱埋め込み化」とした。
観光をめぐっては、「ツーリスト」「プロデューサー」「地域住民」の三つの立場がある。
E・コーエンは観光経験を「気晴らしモード(日常からの脱出)」「レクリエーション・モード(心身の疲労をいやす)」「経験モード(生活様式や価値観を経験)」「体験モード(生活に参加・体験)」「実存モード(永住)」の五つのタイプに分けている。
G・ドグシーによる「イラダチ度モデル」によれば、観光が地域住民に与えるストレスが「イラダチ」を増大させる。そのプロセスは、1.幸福感 → 2.無関心 → 3.イラダチ → 4.敵意 →5.最終レベルとなる。
観光のオーセンティシティ(本物らしさ)をめぐって、D・J・ブーアスティンはメディアによって演出され造り出されたイメージのほうが現実感を持つという「知覚のありよう」を「疑似イベント」としている。「観光客の欲求は、彼自身の頭のなかにあるイメージが、観光地において確かめられたとき、最も満足する」と、ツーリストたちがただメディアによって構成されるイメージを追認しているにすぎず、彼らの経験が疑似的で人工的なものだと考えている。
それに対しD・マッカネルは、ツーリストたちは、単に疑似イベントでは満足せずにオーセンティシティを求め、結果的には擬似的で人工的なパスティーシュ(模造品)に満ちた「表舞台」と、オーセンティシティに満ちた「裏舞台」が交差する、ねじれた空間を旅しているとする。
U・エーコは、蝋人形館ではリアリティそのものが最初にオリジナリティとして存在し、それを人形という形でそっくり再現・複製することで成り立っているが、それに対し、ディズニーランドは参照されるべき、あるいは再現・複製されるべき実在をもってはいないと言う。ディズニーランドではすべてがファンタジーであり、コピーされる実存物などないのである。そのため、擬似的 / オーセンティック、コピー / オリジナルという区別そのものが無効化される。
ポストモダニズムの諸理論によると、もはや純粋な「現実そのもの」を考えることなど不可能であって、イメージや表象の外部に世界は存在しないとされる。世界そのものがメディア化されている。観光もまた同様であり、観光そものもがメディア化されているのである。

■観光の近代化と現代
観光社会学が確立されたのは、先進国において大衆が観光をするようになった1970年中葉であった。はじめてテーマになったのは、1974年にメキシコシティで開かれたアメリカ人類学会のシンポジウム。中世になると、旅行はもっぱら宗教的な「巡礼」という形をとるようになる。僧侶や裕福な者ばかりでなく一般の男女がヨーロッパのあらゆるところから、エルサレムやローマへと巡礼している。
日本でも、移動の自由のない一般の農民にとっては、伊勢参りや金比羅参り等の宗教的旅行は「巡礼」を隠れ蓑にした「日常」からの脱出であった。「抜け参り」という呼び名がまさにそれを物語っている。
大衆向けの観光旅行は19世紀の鉄道の普及と同時に始まった。イギリスでは、1841年にはトーマス・クック社が今のパック旅行の原型となるツアーを始めている。欧米における近代の大衆観光の興隆には、産業社会化、そしてその管理への意思が背景に存在していた。
労働者階級の日常的な合理化は、時間厳守といったような工場労働の規律の厳格化だけでは不完全であり、労働の裏側にある余暇の健全化、合理化が不可欠であった。とくに、18世紀のブランデーの輸入禁止から逆に国産のジンやビールを飲む習慣が蔓延したイギリスにおいて、飲酒の習慣を抑制することは、工場での労働規律を守らせるためにも至上命令であった。
熱心な禁酒運動のボランティアであったトーマス・クックが、禁酒運動の一環として健全娯楽である観光旅行を一般大衆に(とくにそれまで観光から閉め出されていた女性に)普及させようと努めたことは、この時代の観光のあり方を鮮明に表している。また、この時代に鉄道が急速に普及したこともトーマス・クックの観光の普及に大いに影響を与えている。
大衆の観光旅行が担った、社会の近代化に欠かせないもう一つの重要な役割は、大衆に対する「進歩」のイデオロギーの注入である。
トーマス・クックは水晶宮の設計者(ジョセフ・パクストン!)と鉄道会社の社長からロンドン万博への集客を頼まれ、全入場客の3%にあたる約16万人の見学ツアーを組織している。
近代観光は、いわば近代産業主義の「イデオロギー装置」であったと言えるのであるが、同時にそれは、世界中の「見慣れぬもの」へのあこがれ、すなわち「エキゾティズム」野幻想をかき立てるものでもあった。しかし、この「エキゾティズム」は西欧の文化的優位と東洋の文化的劣位を前提としていた。
欧米人の「オリエンタリズム」に触発され、それに呼応する形でそのまなざしの対象であった現地の人びとが、逆にそこから映し出された集合的イメージ(集合的アイデンティティ)をつくりあげるさまは、バリ島観光研究等で分析され紹介されている。
19世紀末にはすでにヨーロッパにおいてもアメリカにおいても世界は征服し尽くされ、「大きな物語」としての「見知らぬ世界」、すなわち大いなる「他者性」はもうすでにほとんどなく、「エキゾティズム」は「オリエンタリズム」に触発されながら人工的につくられていった。
19世紀末から20世紀初頭にかけては、ヨーロッパにおける「伝統の大量生産」の時代であったことも、観光におけるイメージの生産と通底している。
観光に欠かすことができない場所のイメージの生産と消費は、近代の産業主義と、それを支える国民国家の創造のための政治という、近代社会の二側面の共通の底に横たわるイデオロギーと大いに関係がある。
近代国家においては、観光が産業化され、大衆化され、システム化されることにより「観光現象」が社会全体に浸透していく。
ヨーロッパにおける観光現象の発端が禁酒運動やワンダーフォーゲル運動のように大衆の「健全な」余暇の開発を目的とした民間のボランティア的運動であったのに対し、日本における近代的観光現象の発端は学校や職場等の団体旅行にあった。学校が組織した観光旅行の代表は修学旅行であった。
重要であるのは、第一に学校教育が規律訓練的なシステムを物見遊山的なレクリエーション行事と混合させつつ定着させ、国民の余暇活動への欲望を、規律訓練と矛盾しない方向にかき立てたこと、第二に「見学」という実践教育を通して、若者達に国民国家の目標を指し示し、祝祭的な観光を利用しつつ何を見て、何を知るべきなのか、まなざしのあり方を学習させようとしたことである。
現代社会はあらゆる領域において「マクドナルド化」の原理である計算可能性、予測可能性等、近代合理主義の原理が支配しているために、人びとが観光に求めるような「新しくて異なるもの」などほとんどない。
観光は「マクドナルド化されていない要素とマクドナルド化された要素の適切な配合」によって洗練されるのであるが、皮肉なことに合理化を逃れようとする、あるいは合理的に対抗しようとするすべての手段もまたマクドナルド化されてしまう。結局、「ツーリズムはアーリが言うような非日常性を提供できなくなっている」のである。
たしかにブーアスティンの言うように、現代では「現実が疑似イベントにしたがう」ようになっているが、「疑似イベント」自身が多様化し個人化する現在においては、どのイメージがどの現実をつくり出し、それがどう人々に受け入れられていくのか、その過程は再帰的で流動的なのである。観光社会学の視線は観光の「偽物」性を告発する方向ではなく、闘いが行われている「場」の解明にこそ向かうべきなのである。

S・ラッシュは、ポストモダニズム文化の特徴を、1. 文化内容の「脱-文化」 2.「図像による」文化の形成 3.ポスト産業的中産階級の文化 の三つの点からなるとしている。
「脱-文化」についてはアーリは、経済、家族、国家、学問、道徳、美等に関する分野の(水平的な)分解と、文化と生活の区分、ハイカルチャーとローカルチャーの区分、アウラ的芸術と大衆芸術の区分、エリート消費と大衆的消費の区分等の(垂直の)崩壊に分ける。
「有名な」作品だけを簡単に解説しながらまわる美術館のツアー、買い物ツアーの観光客を前提としたものに変化する名門ブランドなど、観光文化がポストモダニズムのある側面を積極的に作り出していることに注目しなければならない。
ディズニーランド文化の特徴はその都市の中の人工的な「飛び地」性と関係している。ディズニーリゾートは観光地であるが、どれも都市の郊外にあり、何もない土地を人工的に造成してできたものである。特に東京など、アメリカ文化と関係の薄い文化的環境の中に突如「飛び地」としてアメリカ文化が成立しているところに特徴がある。
いまやただ空間を眺めるだけでは非日常性は得られない。観光客もスペクタルの一要素となる。これは近代がつくり出した視覚中心のまなざしの全域化であろうか、それとも視覚の先制の終わりであろうか。いずれにしても観光の中における演技的諸要素、身体感覚をともなう非日常経験がますます増大するのである。

2009/07/02

『アメリカ大都市の死と生』と都市計画におけるヒューマニティ

ジェーン・ジェイコブス, 黒川紀章訳『アメリカ大都市の死と生』鹿島出版会, 1977(原著は1961)

近代の都市計画が現実のものとなってきた1961年に、すでに近代都市の死を宣言していた本書。本書前半(4章あるうち原著の内の前半2章が日本語版として流通しているものであるが、本人の了承も得ているそう)は、安全性、人々の接触可能性、子供という3つの観点から歩道の重要性を解き、公園、近隣住区のあり方について主張する。要は下町的、ヒューマンスケールの都市礼賛であり、「輝ける都市」的な近代都市計画が人間性を失っていることへの強いアンチテーゼである。後半は「混用地域の必要性」「小規模ブロックの必要性」「古い建物の必要性」「集中の必要性」などを主張し、それらが多様な都市を生むとする。

そのような本書の主張のほとんどが現代においては自明なことのように感じられる。現代では反対しずらい<正しい意見>として成立しているものである。唯一意見が分かれそうなものが集中の必要性として「人々の都市集中についての消極的な感覚は、生き生きとした計画ができない条件を作り出してきたのである。都市自体にとって、あるいはその設計、計画、経済、あるいは人間にとって密度の高い都市人口が本質的に望ましくないという感情が先天的にあった。しなくてはならないことは、都市生活の発展に機会を提供するに十分に密で、そのうえ多様な集中状態において、そこに住んでいる都市の人々の都市生活を向上させること」と、優れた都市のためには高密度化が前提であるとしている点だろうか。これとてまったく新しい議論ではないが、少なくとも低密度を主張する反対派も多いだろう。あるいはコンパクトシティ論的には、余白を残すために部分を高密度化するというテーゼであって、人口増大(都市拡大)などの問題を前提に高密度を<受け入れる>のと、高密度を<促進>するのとでは差異がある。「下町の復権」などとまとめられることも多い本書の中で、この集中の項が同居していることが面白い。というかそこを本書をただのノスタルジーに落とさないぎりぎりの線だったのではないだろうか。

このような、集中するほどよいというのはまさしく複雑系的思考だが、スティーブン・ジョンソンが自己組織システム的な観点から、ジェイコブスが言う歩道の主張を「歩道は、正しい種類の局所的な相互作用を、正しい数だけ提供する。それは都市生活のギャップ・ジャンクションなのだ」(スティーブン・ジョンソン, 山形浩生訳『創発』ソフトバンクパブリッシング, 2004)と再評価している。歩道はアリのコロニーで言えば嗅覚のようなものであって、働きアリ達が嗅覚でコミュニケーションをとるからコロニーが成立する、つまり都市における創発を支える媒介であるとする。車がなぜいけないかということについてジェイコブスは比較的ノスタルジックな主張に留まっていたが、ジョンソンの言うように系からはずれるから、という単純なことである。そこから考えれば、現代においてはいかに系を設定するか、ということをもっと重要視するべきだろう。ヘッドホンして歩く人とその他の人はある側面では違う系として見られるべきかもしれないし、ヤンキー、主婦、老人、外人等、人種や階級でカテゴライズされた人々、普段ふれあうことのない人々がネットとか趣味とか(趣味は比較的キャラクターのカテゴライズに関係してくるから単純ではないかもしれないが)の別の系でつながる仕組みを考える、あるいはそうなりつつある系の運用の仕方を考える必要があるかもしれない。

もう少し本書を斜めから読むと、あたりまえのこと言っているようでも、古典としての扱いで引用され続けてきた、ということの意味を考えるべきかもしれない。1961年だとしても、近代都市計画に反対した人が他にいないわけがなく、皆が近代都市に夢を持っていたということを差し引いても新しい非人間的な計画(あるいは発展)への憂慮があったのは明らかである。様々な議論がされており、ゾーニングひとつとっても喧々諤々だたったにちがいない。そんな中で本書が画期的に新しい視座をもたらしたと考えることはできないし、つまり本書の主張が反対派の擁護に使われたり、計画を押し進める側のエクスキューズに使われたりと、政治的に扱われてきた、という面は否定できないだろう。

現在の都市計画は本書が主張するような「既知感たっぷりだが、正しい」ヒューマニティを盛り込んだ、都市計画が主流である。ヒューマンスケール、エコ、緑、風の抜ける街路、安全、コミュニティなどのポリティカルコレクトネスをちりばめる。そんな正論を主張されても新しくない、つまらない計画じゃないか、なんて批判も実際のクライアントや世論の前では価値がないのはあきらかで、普通であっても正しいことの積み重ねでものごとが決定されていく。他と同じでも快適ならよいではないか、と。もちろんそれはいいことなんだけど、というかそれらは最低限であって、それ以外のところを問題の焦点にしていかないとだめ、というのがなかなか伝わりにくい。そんな中で、生活する人々の系を操作するというのは、社会の変化とも関係してくるし、面白いテーマかもしれない。

ところで、本書の主張の軸は多様性が必要だということであるが、いまだに変わらずにむしろより必要であるとすら思われるその主張は、この時代から始まった流行だった。しかしなんとなく『建築の多様性と対立性』(原著は1966年)がそのようなことを言い出した最初のように感じていたが、年代を整理してみると本書のほうが5年早かったようだ。