2010/01/06

母なる証明

年末に見に行ったポン・ジュノ(*うっかり勘違いを訂正しました)監督『母なる証明』、無実の罪を着せられそうになった息子(集中力障害?)を守るために真犯人を探す母の奮闘を描いた作品で、非常に緻密で丁寧なよい映画でした。公開はそろそろ終わり?かもですがDVDが出たら是非。

伏線の貼り方、映像(母が屋上に登るシーンとか、新事実のシーンとか、ラストとか)も素晴しいし、決して説明的でなく、観客に考えさせる余韻を残しつつ、でも丁寧にわかりやすく拾っている、無駄がない感じ。

ただしひとつだけどうしても、いまひとつではないか、と思うところがあったのでネタバレにならない程度に備忘録的に書きたいと思います。とはいえ、映画を観た時の自由な発想を妨げる恐れがありますので、これから観るよという方は読まないほうがいいかも。念のためネタバレ注意ということで。

まず前半で、ささいなシーンですが、息子が黒いあるものを「白だった」と間違って回想するシーンが出てきます。あくまで主人公の症状と後に友人との関係を示す自然なシーンとして。そのシーンがあった上で、終盤大事な場面で、主人公があるものを「白い」として思い出す場面があるのです。その白いものの証言により重要な事実が浮かび上がるのですが、前半のあのシーンが頭にあった僕はそれは主人公の勘違い、本当は「白」ではなかった、という展開を想像してしまうわけです。ところが普通にその「白」が事実であるということが後にわかる。

これはたまたま同じ白黒というモチーフが使われたために(考えすぎ)なのか、その時間の間だけわざと観客に誤解する時間を与えたのか、僕は後者だと思いたいのですが、、、映像とか展開を観るとわざと誤解を与えるように作られたとは思い難い(その、明らかに事実っぽいことに大ドンデン返しがあるのではと期待してしまった分拍子抜けした感があり)です。

とはいえこういう場合作者がどう考えて作ったかよりも、それをどう読むかが(少なくとも読み手にとっては)重要なわけで、「序盤のシーンは後半観客に誤解を与えるための伏線だった」としてみると、これは大変面白い映画なのだと思うのです。作品のテーマが真犯人探し(謎解き)のサスペンスをベースにした「母の愛」だとすると、そこで観客が受ける誤解によって、母へある思いを抱きながら観るわけです。「お母さん、実は〇〇に違いないですよ」と。しかし結局〇〇ではないことがわかる。それがわかった時点で観客は劇中の母と同じ、深い感情を抱くことができたはずなのです。まさにギャップ効果を発揮する最大のチャンスだったのではないでしょうか。そういった「淡い期待を抱かせて結局のところ突き落とす」という感情のモデルを成立させるためには、母がその事実を疑うシーン等が必要だったのだと思いますが、、、。

ということで☆4.0。いい映画には変りないです。韓国映画は表現は多様ですが伝えようとする主題は単純明快なことが多いですね。今のところはキム・ギドク『悪い男』『うつせみ』あたりがマイフェイバリット。