年末に見に行ったポン・ジュノ(*うっかり勘違いを訂正しました)監督『母なる証明』、無実の罪を着せられそうになった息子(集中力障害?)を守るために真犯人を探す母の奮闘を描いた作品で、非常に緻密で丁寧なよい映画でした。公開はそろそろ終わり?かもですがDVDが出たら是非。
伏線の貼り方、映像(母が屋上に登るシーンとか、新事実のシーンとか、ラストとか)も素晴しいし、決して説明的でなく、観客に考えさせる余韻を残しつつ、でも丁寧にわかりやすく拾っている、無駄がない感じ。
ただしひとつだけどうしても、いまひとつではないか、と思うところがあったのでネタバレにならない程度に備忘録的に書きたいと思います。とはいえ、映画を観た時の自由な発想を妨げる恐れがありますので、これから観るよという方は読まないほうがいいかも。念のためネタバレ注意ということで。
まず前半で、ささいなシーンですが、息子が黒いあるものを「白だった」と間違って回想するシーンが出てきます。あくまで主人公の症状と後に友人との関係を示す自然なシーンとして。そのシーンがあった上で、終盤大事な場面で、主人公があるものを「白い」として思い出す場面があるのです。その白いものの証言により重要な事実が浮かび上がるのですが、前半のあのシーンが頭にあった僕はそれは主人公の勘違い、本当は「白」ではなかった、という展開を想像してしまうわけです。ところが普通にその「白」が事実であるということが後にわかる。
これはたまたま同じ白黒というモチーフが使われたために(考えすぎ)なのか、その時間の間だけわざと観客に誤解する時間を与えたのか、僕は後者だと思いたいのですが、、、映像とか展開を観るとわざと誤解を与えるように作られたとは思い難い(その、明らかに事実っぽいことに大ドンデン返しがあるのではと期待してしまった分拍子抜けした感があり)です。
とはいえこういう場合作者がどう考えて作ったかよりも、それをどう読むかが(少なくとも読み手にとっては)重要なわけで、「序盤のシーンは後半観客に誤解を与えるための伏線だった」としてみると、これは大変面白い映画なのだと思うのです。作品のテーマが真犯人探し(謎解き)のサスペンスをベースにした「母の愛」だとすると、そこで観客が受ける誤解によって、母へある思いを抱きながら観るわけです。「お母さん、実は〇〇に違いないですよ」と。しかし結局〇〇ではないことがわかる。それがわかった時点で観客は劇中の母と同じ、深い感情を抱くことができたはずなのです。まさにギャップ効果を発揮する最大のチャンスだったのではないでしょうか。そういった「淡い期待を抱かせて結局のところ突き落とす」という感情のモデルを成立させるためには、母がその事実を疑うシーン等が必要だったのだと思いますが、、、。
ということで☆4.0。いい映画には変りないです。韓国映画は表現は多様ですが伝えようとする主題は単純明快なことが多いですね。今のところはキム・ギドク『悪い男』『うつせみ』あたりがマイフェイバリット。
2010/01/06
2010/01/04
NP完全問題が解けない理由
ウィリアム・パウンドストーン, 松浦俊輔訳『パラドックス大全』青土社, 2004
巡回セールスマン問題とは、「複数ある都市をセールスマンが営業で回るのに最も効率のよいルートは何か」というものを示すことで、最短ルートを近似的に想像することは出来ても理論的に(コンピュータ等で)証明するのが非常に難解で有名な問題があります。
その巡回セールスマン問題は「NP完全問題(非決定性多項式時間完全 Non Deterministic Poliminal Time Complete)」と呼ばれています。専門ではないのでよく理解できていませんが、どれほど難しいかが「充足可能性問題の計算」というNP問題の一種で示されており、それが面白い。(その筋の方にはちと古いのかもしれませんが、ここではそういう正確さは抜きにして)
充足可能性問題の例として、信じるもの(正しいと証明されたこと)のリストを作ることを考える。二つ目にリストに載る「信じるもの」は第一の「信じるもの」と矛盾しないことを確かめなければならない。その作業は1回。3つ目にリストに載る「信じるもの」は第一の「信じるもの」と第二の「信じるもの」の両方と、両者、計3回矛盾していないことを確かめなければならない。4つ目のリストに載るものは7回、5つ目は15回、6つ目は31、10つ目は1023、1000つ目は10の310乗になるそう!
それを空想上のコンピュータで計算することを考える。並列に数が多ければ多いほうがいいわけで、仮に陽子の大きさ(10の-15乗メートル)の素子を処理装置(CPUチップ見たいなもの)とするコンピュータを仮定する。すると1立方メートルで10の45乗個の素子を詰め込める。
ひとつの素子が、光の速さ÷素子の直径=3x10の-24乗で切り替わり信号を送る(=先の認証作業のひとつをこなす)と仮定すると、1秒に10の23乗の処理が出来る理論上最速のコンピュータということになる。しかし、1立方メートルで10の45乗個の素子を積んだコンピュータ計算すると、最初の1秒で225つ目までリストを作成できるが、次の226個目を認証するのにもう1秒、232番目を調べるのに1分、247番目までは1ヶ月、275番目までは3500万年!
それを宇宙誕生からこれまでの寿命10の17-18乗秒(感覚的にはこれもすごい!これだけか、というか10の18乗ってそんなに大きいのか、というか)にちょっとおまけをのせて10の19乗秒間計算するとすると、10の87乗回の計算ができるが、なんとそれでできるリストは289個にすぎない!
そこでコンピューターの数を増やすしかない。ひとつ1立方メートルなどと言わず、宇宙の大きさくらいのコンピュータを作ってみる、と(これまたすごい仮説w)。およそ120-140億光年(1光年は10の13乗キロ)と言われているそうだがとりあえず1000億光年とすると、10の126乗個の素子を積んだコンピュータが出来るらしい。
その「宇宙の大きさ」で「永遠」に計算した結果、、、10の168乗回の計算が可能で、それによって出来るリストはたったの558、、。
原著は1988年(訳書は2004年)なので当時とはコンピュータ処理的に何がしかの革新(それこそ指数関数的な)が起きているかとは思いますが、専門外の僕にとってはそもそもその正確さなどはどちらでもよくて、この思考実験の発想とスケールが面白いなと思いました。しかしNP問題が難解と言われているのは今も変わらず、というかその難解さの理由が物理的な限界であるというのが驚きです。以上正月の読書より。
巡回セールスマン問題とは、「複数ある都市をセールスマンが営業で回るのに最も効率のよいルートは何か」というものを示すことで、最短ルートを近似的に想像することは出来ても理論的に(コンピュータ等で)証明するのが非常に難解で有名な問題があります。
その巡回セールスマン問題は「NP完全問題(非決定性多項式時間完全 Non Deterministic Poliminal Time Complete)」と呼ばれています。専門ではないのでよく理解できていませんが、どれほど難しいかが「充足可能性問題の計算」というNP問題の一種で示されており、それが面白い。(その筋の方にはちと古いのかもしれませんが、ここではそういう正確さは抜きにして)
充足可能性問題の例として、信じるもの(正しいと証明されたこと)のリストを作ることを考える。二つ目にリストに載る「信じるもの」は第一の「信じるもの」と矛盾しないことを確かめなければならない。その作業は1回。3つ目にリストに載る「信じるもの」は第一の「信じるもの」と第二の「信じるもの」の両方と、両者、計3回矛盾していないことを確かめなければならない。4つ目のリストに載るものは7回、5つ目は15回、6つ目は31、10つ目は1023、1000つ目は10の310乗になるそう!
それを空想上のコンピュータで計算することを考える。並列に数が多ければ多いほうがいいわけで、仮に陽子の大きさ(10の-15乗メートル)の素子を処理装置(CPUチップ見たいなもの)とするコンピュータを仮定する。すると1立方メートルで10の45乗個の素子を詰め込める。
ひとつの素子が、光の速さ÷素子の直径=3x10の-24乗で切り替わり信号を送る(=先の認証作業のひとつをこなす)と仮定すると、1秒に10の23乗の処理が出来る理論上最速のコンピュータということになる。しかし、1立方メートルで10の45乗個の素子を積んだコンピュータ計算すると、最初の1秒で225つ目までリストを作成できるが、次の226個目を認証するのにもう1秒、232番目を調べるのに1分、247番目までは1ヶ月、275番目までは3500万年!
それを宇宙誕生からこれまでの寿命10の17-18乗秒(感覚的にはこれもすごい!これだけか、というか10の18乗ってそんなに大きいのか、というか)にちょっとおまけをのせて10の19乗秒間計算するとすると、10の87乗回の計算ができるが、なんとそれでできるリストは289個にすぎない!
そこでコンピューターの数を増やすしかない。ひとつ1立方メートルなどと言わず、宇宙の大きさくらいのコンピュータを作ってみる、と(これまたすごい仮説w)。およそ120-140億光年(1光年は10の13乗キロ)と言われているそうだがとりあえず1000億光年とすると、10の126乗個の素子を積んだコンピュータが出来るらしい。
その「宇宙の大きさ」で「永遠」に計算した結果、、、10の168乗回の計算が可能で、それによって出来るリストはたったの558、、。
原著は1988年(訳書は2004年)なので当時とはコンピュータ処理的に何がしかの革新(それこそ指数関数的な)が起きているかとは思いますが、専門外の僕にとってはそもそもその正確さなどはどちらでもよくて、この思考実験の発想とスケールが面白いなと思いました。しかしNP問題が難解と言われているのは今も変わらず、というかその難解さの理由が物理的な限界であるというのが驚きです。以上正月の読書より。
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その他
2010/01/02
ワンピースと少年漫画
只今劇場公開中の『ワンピース・ストロングワールド』が空前の大ヒットらしく、劇場でもらえるという0巻につられて観にいきましたが、大変バランスのよく老若男女に受けるであろう面白い映画でした。誰が見ても一定の満足感が得られるのは間違いなく、原作者尾田栄一郎さんが全面監修だけあってクオリティもかなり高い。「独自に進化した様々な特殊巨大動物がいる島で、、」という設定からして、劇場で見るにふさわしいスケールを生んでいます。
もともとワンピースは冒険・アクションものという少年漫画の王道ですが、その多方面への気配りの射程の広さはかなりのもの。例えば主人公を取り巻くキャラクターは、キャラクター・特技・で完全にキャラクタライズされており、全員がそれぞれの役割でチームに貢献します。キャラマトリックスを作ったらすべてのマスが満遍なく埋まる感じ。能力者の主人公を囲むチームのキャラを整理すると、男気あるイケメン(剣)、プレイボーイ的なイケメン(足技)、トナカイキャラ(変身・映画ではさらに着ぐるみを被っていて笑いを誘います)、可愛い系の美少女(航海士・気象を操る)、クール系の美少女(特殊な手技)、サイボーグ(体に内蔵した様々な武器)、ガイコツ(剣)、嘘つき(遠隔攻撃)、もちろん敵キャラもかなりバリエーション豊かな展開を見せてますし。
映画でも見られますが、例えば何かを探すシーンで8人のメンバーが必ず3組くらいにバランスよく別れるのもうまい。攻撃系のキャラと特殊能力系のキャラがうまくわかれるのですが、同時にその個別チームはそれぞれ能力の欠如という弱点を持つため物語的に「負けずにやられる」ことが可能(少年漫画的には能力的に弱いというのは見せたくない)で、最終的に全員集合した時の能力補完による充実感の演出につながります。
ということで、ワンピースの漫画としての特徴を考えてみました。
・徹底したチーム戦による能力補完主義(特技を生かした能力バトル)
友情がキーワードであり、ドラゴンボール型の不可避なインフレバトルに陥らない。もちろんインフレ的に敵の強さはエスカレートしていくのだが、さらに強そうなキャラをちらちら挿入してきたり、敵ボスにも中ボス扱いの手下がいてうまく役割分担が出来ている。また腕力的に弱いキャラにも独自の特殊能力があり、一番強いキャラ(ルフィ)は腕力以外では弱点だらけであるという設定も巧み。
・物語の構造設定が生む必然性
そのような敵ボスと側近であるその手下の中ボスがセット(ほとんどボス1側近2で出てくるが)といった設定はともすれば既視感 / 無理矢理感が生まれてしまうが、そこは「海賊団同士の戦い」という設定により必然化することができており、結果的にチーム戦(=主人公強さのインフレの回避)になる。また、敵が海賊であるという設定によって敵が悪事をすることへの疑念を生まないし、海賊は土地に根ざしていないため「行く先々で敵の城に行かねば」といったクリシェを回避する(敵もあくまで通りすがりである)といった構造となる。そのように少年漫画ぽさを追求するがあまりに少年漫画にありがちな「必然性の欠如」を注意深く回避している。
・物語の定型化と形式の反復
登場人物や個々のエピソード(そのストーリーがまず面白いが)の多様性を目指しておきながら、物語に「定型」の枠組みを与えている。つまりそれぞれの話の構成が構造的にほぼ一緒である。船で新しい土地へ行くと、敵の海賊とそれらよりなんらかの被害を被っている地元の街があり(敵を倒すことの正当化)、能動的、受動的にその争いに巻き込まれていき、最終的に敵を倒すのだが、必ず犠牲者でありかつ助け合うことになるキーパーソンが存在し、、、といった具合。そういった定型の反復が共通認識を生むのではないだろうか。アイツの賞金は何万ベリーだろうか(どれくらいの強さか)、アイツの能力は何だろうか(読者は一人がひとつの能力しかもてないことを知っている)、次の島はどんな島か、、、と。度々出てくる海軍に対しても彼らの強さや態度は読者が想像上で把握することが出来ているから海軍が来ただけである種の緊張を感じたりもする。それらの反復によって結果的に少年漫画としての安心感と拡張性(やろうと思えばいくらでも話を伸ばせる)を持つ。
・常に「その先」を想像させる見えない伏線の配置
そのような定型の反復によって生み出されるのは読者の想像上の「未知の島」の存在である。定型がないと「次は何か」としか考えることができないが、反復によって「次」がある「島」であるという認識が共有される。そういった共通認識の上で、先を想像させる伏線(イーストブルーにおけるグランドラインのような)が配置され、その先には何があるか、というワクワク感を生むことに成功していると言える。また「海賊にかけられた懸賞金」という個々の能力を自然に数値化する制度と、様々な能力を持つ能力者(一人につき一つの特殊能力)がいるということ、海軍の存在などの前提条件のもと、「強そう」「謎の能力」「誰だあれ?」といった様々な「その先」を感じさせるキャラが小出しにされ、読者を煽り続けている。
・少年漫画性の担保(特定ジャンルの回避と全方位的配慮)
巧みにセクシーキャラをいれつつ、そしてそれを追いかけるサンジ他のキャラを設定しつつ、徹底的に性・恋愛を回避していくプロット。性の回避という少年漫画問題については、21世紀少年について作者の浦沢直樹は、物語に性は邪魔であるが、例えば彼らを中学生という設定にすると性を入れないとリアルでない、そういった矛盾を避けるために小学生を主人公にした、というエピソードを語っている( 『クイック・ジャパン81 漫画の底力 』
)が、ワンピースも同様、性を適度にお笑いで盛り込むことで存在を否定することなく巧みに回避する。スカッとするような勧善懲悪が(あえて)ベースになっているが当然残酷なシーンもなく、しかし友情あり、お笑いあり、冒険・バトルあり、感動ありと少年漫画性は全方位抑えられている。
といった感じでしょうか。とにかくワンピースはいろいろな要素が詰め込まれ、またそのストーリー構成の巧みさにより、誰が見ても面白く、かつ少年漫画の王道を修正しつつ実践しているものであると言えるでしょう。
そんなわけで正月から誰にむけた何のための文章かわからない、しかも妙に長文を書いてしまいました、、。勢いで書いたので読み返さずに(!)投稿しますが、ご意見などあればメールかツイッターで頂けたらと思います。とにかく『ワンピース ストロング・ワールド』はオススメです。キーとなる「あるセリフ」をもう少しヒネリたいところでしたが。
それでは今年もよろしくお願いいたします。
もともとワンピースは冒険・アクションものという少年漫画の王道ですが、その多方面への気配りの射程の広さはかなりのもの。例えば主人公を取り巻くキャラクターは、キャラクター・特技・で完全にキャラクタライズされており、全員がそれぞれの役割でチームに貢献します。キャラマトリックスを作ったらすべてのマスが満遍なく埋まる感じ。能力者の主人公を囲むチームのキャラを整理すると、男気あるイケメン(剣)、プレイボーイ的なイケメン(足技)、トナカイキャラ(変身・映画ではさらに着ぐるみを被っていて笑いを誘います)、可愛い系の美少女(航海士・気象を操る)、クール系の美少女(特殊な手技)、サイボーグ(体に内蔵した様々な武器)、ガイコツ(剣)、嘘つき(遠隔攻撃)、もちろん敵キャラもかなりバリエーション豊かな展開を見せてますし。
映画でも見られますが、例えば何かを探すシーンで8人のメンバーが必ず3組くらいにバランスよく別れるのもうまい。攻撃系のキャラと特殊能力系のキャラがうまくわかれるのですが、同時にその個別チームはそれぞれ能力の欠如という弱点を持つため物語的に「負けずにやられる」ことが可能(少年漫画的には能力的に弱いというのは見せたくない)で、最終的に全員集合した時の能力補完による充実感の演出につながります。
ということで、ワンピースの漫画としての特徴を考えてみました。
・徹底したチーム戦による能力補完主義(特技を生かした能力バトル)
友情がキーワードであり、ドラゴンボール型の不可避なインフレバトルに陥らない。もちろんインフレ的に敵の強さはエスカレートしていくのだが、さらに強そうなキャラをちらちら挿入してきたり、敵ボスにも中ボス扱いの手下がいてうまく役割分担が出来ている。また腕力的に弱いキャラにも独自の特殊能力があり、一番強いキャラ(ルフィ)は腕力以外では弱点だらけであるという設定も巧み。
・物語の構造設定が生む必然性
そのような敵ボスと側近であるその手下の中ボスがセット(ほとんどボス1側近2で出てくるが)といった設定はともすれば既視感 / 無理矢理感が生まれてしまうが、そこは「海賊団同士の戦い」という設定により必然化することができており、結果的にチーム戦(=主人公強さのインフレの回避)になる。また、敵が海賊であるという設定によって敵が悪事をすることへの疑念を生まないし、海賊は土地に根ざしていないため「行く先々で敵の城に行かねば」といったクリシェを回避する(敵もあくまで通りすがりである)といった構造となる。そのように少年漫画ぽさを追求するがあまりに少年漫画にありがちな「必然性の欠如」を注意深く回避している。
・物語の定型化と形式の反復
登場人物や個々のエピソード(そのストーリーがまず面白いが)の多様性を目指しておきながら、物語に「定型」の枠組みを与えている。つまりそれぞれの話の構成が構造的にほぼ一緒である。船で新しい土地へ行くと、敵の海賊とそれらよりなんらかの被害を被っている地元の街があり(敵を倒すことの正当化)、能動的、受動的にその争いに巻き込まれていき、最終的に敵を倒すのだが、必ず犠牲者でありかつ助け合うことになるキーパーソンが存在し、、、といった具合。そういった定型の反復が共通認識を生むのではないだろうか。アイツの賞金は何万ベリーだろうか(どれくらいの強さか)、アイツの能力は何だろうか(読者は一人がひとつの能力しかもてないことを知っている)、次の島はどんな島か、、、と。度々出てくる海軍に対しても彼らの強さや態度は読者が想像上で把握することが出来ているから海軍が来ただけである種の緊張を感じたりもする。それらの反復によって結果的に少年漫画としての安心感と拡張性(やろうと思えばいくらでも話を伸ばせる)を持つ。
・常に「その先」を想像させる見えない伏線の配置
そのような定型の反復によって生み出されるのは読者の想像上の「未知の島」の存在である。定型がないと「次は何か」としか考えることができないが、反復によって「次」がある「島」であるという認識が共有される。そういった共通認識の上で、先を想像させる伏線(イーストブルーにおけるグランドラインのような)が配置され、その先には何があるか、というワクワク感を生むことに成功していると言える。また「海賊にかけられた懸賞金」という個々の能力を自然に数値化する制度と、様々な能力を持つ能力者(一人につき一つの特殊能力)がいるということ、海軍の存在などの前提条件のもと、「強そう」「謎の能力」「誰だあれ?」といった様々な「その先」を感じさせるキャラが小出しにされ、読者を煽り続けている。
・少年漫画性の担保(特定ジャンルの回避と全方位的配慮)
巧みにセクシーキャラをいれつつ、そしてそれを追いかけるサンジ他のキャラを設定しつつ、徹底的に性・恋愛を回避していくプロット。性の回避という少年漫画問題については、21世紀少年について作者の浦沢直樹は、物語に性は邪魔であるが、例えば彼らを中学生という設定にすると性を入れないとリアルでない、そういった矛盾を避けるために小学生を主人公にした、というエピソードを語っている( 『クイック・ジャパン81 漫画の底力 』
といった感じでしょうか。とにかくワンピースはいろいろな要素が詰め込まれ、またそのストーリー構成の巧みさにより、誰が見ても面白く、かつ少年漫画の王道を修正しつつ実践しているものであると言えるでしょう。
そんなわけで正月から誰にむけた何のための文章かわからない、しかも妙に長文を書いてしまいました、、。勢いで書いたので読み返さずに(!)投稿しますが、ご意見などあればメールかツイッターで頂けたらと思います。とにかく『ワンピース ストロング・ワールド』はオススメです。キーとなる「あるセリフ」をもう少しヒネリたいところでしたが。
それでは今年もよろしくお願いいたします。
2010/01/01
あけましておめでとうございます
2010年、10年代の始まりです。停滞の(と一部で言われている)00年代の終わりには私たちを取り巻く環境に様々な変化があったように思えます。政治もメディアもウェブもコミュニケーションも。そんな社会の変化に建築が取り残されないように、新たな気持ちでスタートできればと思います。
昨年は後半ツイッターの盛り上がりとともに(実はそれ以前からですが)こちらの更新回数が減り、どうしようもないサイトになりつつあるのですが、心機一転こちらも週に1回以上は更新していきたいと思います。
拙いサイトではありますが、昨今は「浅く広く」の時代、浅いなりにも努力していきたいと考えておりますので、引き続きよろしくお願いいたします。
昨年は後半ツイッターの盛り上がりとともに(実はそれ以前からですが)こちらの更新回数が減り、どうしようもないサイトになりつつあるのですが、心機一転こちらも週に1回以上は更新していきたいと思います。
拙いサイトではありますが、昨今は「浅く広く」の時代、浅いなりにも努力していきたいと考えておりますので、引き続きよろしくお願いいたします。
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サイトについて
2009/12/11
千葉学「大多喜町役場コンペ」講演会


@INAXギャラリー 建築家フォーラム
建築家フォーラム千葉学さんの講演会を聴講してきました。
前半は町役場コンペ案の背景としてのオフィスアーバニズムについて。過去のJAオフィスアーバニズム特集(阿部仁史+曽我部昌史+千葉学+小野田泰明)の紹介と九州に竣工した「子供の城」の紹介。後半は大多喜町役場のコンペとその後。以下要約(メモ)です。
ソニーの新しいオフィス、メディアが変わることでオフィス空間も変わるだろう、という前提での提案。もともとミースの均質空間からほとんど変わっていないという問題意識のもと、オフィス空間に興味を持っていた。普通(最近では少し高くなっても)天井高2800、窓からの距離も(最近では)長くて20mくらいの奥行程度とされるが、オフィス100mキューブというの異例のプロポーションでの提案。
コアの周りにフロアがあるという支配的なツリー状モデル、それを変えたい、都市空間のモデルに近づけたいという欲求に対して
・床をなるべく広くして(メガフロア)・多方向からのアクセスが可能なもの・たくさんの使われ方(貸し方)ができるもの
ということから天井高の高いメガフロアを積層させるという解答に至った。
当然出るであろう批判材料である、空調が大変、コストがかかる、という懸念に対して詳細に技術的な裏付けもやっている。排熱を上に集めることで居住域の空調はそれほどロスがない計画が可能とのこと。さらに床面積に対する外壁率が低いため、相対的に安くできる。結果として
・経路の選択性・ツリーでない構造・都市の中に下町、山の手ができるような不均質性の獲得
が豊かさを生むのではないか。
九州「子供の城」
屋内に遊び場がなかった。子供はどこでも遊びを開発することができるため、プログラムから建築を計画するということができないもの。コンペで勝ったのにも関わらず8棟の分棟を否定され(笑)1棟にした。屋根が起伏を繰り返していろいろな場所を作る、全体が分棟のように見えるひとつながりの空間を作った。プランと整合性があるわけではない、多様な屋根(様々な四角いヴォリュームが)を作る。多様な場所をつくるために、屋根のみに集中したデザイン操作を行っている。
働き場所も子供の場所も同様に、プログラムから導かれないものとして計画しなければいけない。それによって屋根だけのデザインをしたり床だけのデザインをしたりした。そのような建築-プログラムの関係を考えるきっかけがあり、その延長上で大多喜町役場コンペを考えた。
今井兼次設計の大多喜町役場増築コンペ
大多喜町を詳細にリサーチし、特に町屋がきちんと残っていることに特に興味を持った。そんな町の庁舎(見に行った時には1月、寒い)を実際に訪れてみると、断熱材もなく、寒く、コンクリートなども老朽化しており、職員の方々も膝に毛布を掛けたりストーブを炊いたりしているのを目の当たりにした。普通だったら壊して建て替えようとなってしまいそうなところだが、そのような状態にも関わらずそれを残そうとしている町の態度に感銘を受けた。
また、今井兼次がガウディ研究をしていたこともあり旧庁舎(同一敷地内)装飾的なところが多い。そのような空間性も50年愛され続けたものであるということにつながっているのではないか。象徴性と普遍性。そのように50年間保存されたもの、を今後50年活かせるように、古いだけでなく新しいもの、しかし将来古くなることも考えた関係性を提案した。
その根本として、ジョンソンワックス本社ビルのように、「オフィスのフレキシビリティ」と柱のみの造形による「象徴性」を両立できるようなものが提案したかった。それで1次は屋根を提案するということに集中する。1次を通ってから様々な屋根のスタディをした。町のシンボルとしての5角形を使うことから始まり(1次提案)、庁舎の構造である門型のフレームだけ(オーソドックスタイプ)を提案したりする。いろいろなタイプの屋根をスタディ。結果として正方形プランに対して45度にかかる2方向の梁を作っていった。グリッド上の梁ではなく、少し角度をつけるだけで影が多様になる、ということに気づく。その後構造体(梁)のスケールの密度などのスタディをしていき、梁方向について梁のレベルを変えることに。そして最終的に構造の合理性なども加味して45度方向に梁を掛け、大梁の上に小梁(90度回転)という屋根に行き着く。恣意的につくるだけでなく合理性を考えた末。2次プレゼン段階にそういった空間を作りたいというプレゼンをした。
「大多喜に重層する時間と空間」というタイトルでプレゼン時のパワーポイント(1/100くらいの部分平面図とそこでのアクティティ、空間のイメージパースなどがセットになったプレゼンはわかりやすい)を作成。
プレゼンは
1「冗長性と象徴性」というキーワード
2本庁舎の一方向性(門型フレームの長方形ヴォリューム)に対峙する増築棟は2方向性を持つ正方形ヴォリュームの提案
3高い天井高の象徴的な大屋根の増築棟の空間性のアピール
4屋根(現された梁)の作る空間性と、構造設備の合理性
5そこで行われる多様なアクティビティ
6大多喜町によく残存する町屋の屋根(部分的に小屋組が見えていたり、屋根が生み出す多様な空間性)との類似の指摘
という流れ。
5ヶ月くらいやらねばならないコンペだったので命がけだった。4月末に結果が出て今は実施設計の中頃という段階。コンペ案の見直しとスタディをずっとしてきたような状態。実施に入っても未だに屋根の空間のスタディをしている。さらに話し合いで議場、役場など機能の再配置をしなければならず、使い勝手、リクエストによってプランが大きく変わっている。
構造的には門型のフレームが重層して出来ているという形式を守るために柱と耐力壁を分ける、という提案。大梁はねじれに耐えるためにボックス型の鉄骨梁、その上の小梁はH鋼に木を抱かせたもの(座屈防止にも効いている)という構造、屋根はフラット+トップライトという方向性でスタディをする。トップライトを直行させると屋根全体が斜めになる、45度にすると2方向に樋が回る、大梁のレベルを変えず屋根勾配だけを変えるかなど検討した結果今のところ大梁ごと傾ける勾配屋根に、などなど。というのを未だに延々とやっているので決め方がよくわからなかったが、さんざんスタディをしていたのでだんだん見えてきた状態。
古谷:千葉さんの設計のプロセスが見れて驚いた。想像の3倍くらいのスタディがなされている。コンペ時(古谷は審査員)審査員には大多喜町の関係の方も多かったが実は圧勝だった。仮に床はフラットであっても天井(屋根)を集中してデザインするというコンセプトにオフィスアーバニズムなどのバックグラウンドと連関が示されていて展示として完成度が高い。同時に新しいものが加わることで古いものだけではなしえなかった全体像を提示できたということがよかったと再確認したが、新旧庁舎の対峙はどれほど意識したのか。
千葉:増築部分はおおらかな空間がつくれればよい。旧庁舎の門型フレームというボキャブラリーを使いながら細長い平面形の旧庁舎だけでできないものということで正方形の平面を割と早い段階で決定した。が、対比を明らかに意識したわけではない。
古谷:確かに他の案でも正方形は多かった。今回は通常のコンペに比べて1次の次に5社による2次(A1-2枚)を設け、設計の時間を与えようとした。そうしたら千葉さんの屋根は最初(1次)は大多喜の5角形の紋章を屋根に使うと言っていたのに、それが2次ではあっさり格子梁に変わっていた。1次-2次のコンペの段階での進め方はどうだったか?
千葉:やっているほうは長くて苦しい。しかし考える時間が長かったのはよかったとは思う。紋章ではなく(1次で言ったことを2次でやらないということは)格子梁にすることは苦渋の決断だった。しかしダイレクトなシンボリズムは正直どうかな、というのもあったし、5角形は難しく、構造の合理性にたどり着かないと思ったのもあり、変更するに至った。2次提案の時間はほぼ屋根のスタディに費やした。
古谷:近年本格的なコンペがなくなり、簡単なイメージで議論してプロポーザルで選ばれることがほとんどになった。1次のときに出したものしか2次に使えない、という類の(よくある)レギュレーションが実は思考の時間を狭めているのではないか、という問題意識がある。つまり1次にぱっと考えて出したものが通ってヒアリングまで行ってしまうと、深く吟味することなくそれをやらねばいけない状況になっているのではないか。ということで1次はあっさり、2次で5社を選んでから時間を与えてディベロップしていただく、というこのコンペのやり方(2次選出後A12枚を提出し、その後プレゼンというやり方 < 最近の主流は1次で提出したものを選び、それをもとに追加資料なしでプレゼンする)を設定した。
以上、講演メモです。メモなので正確でない部分、興味ないところの恣意的な省略はお許しください。
個人的には屋根に集中するがあまりのファサードの不在(役場の顔として)と、屋根と門型フレームというボキャブラリーを両立させることによって屋根も門型も目立たなくなる問題(つまり屋根なら大屋根が張り出した構造でないと内部しか屋根の恩恵を享受できず屋根としての存在感が薄まる、門型は屋根と構造壁などが必然的に存在することでその価値が把握しにくい)、などが気になった点でしょうか。それはともかくスタディ過程を詳細に追うことができるプロセス派には欠かせない展示+講演会でした。
2009/12/08
中国ネット規制
約1ヶ月の香港滞在を終え、只今帰国中、トランジットの台北空港から書き込んでおります。
香港のなにがしかはいずれ気が向けば書けるかもしれませんが、、、只今アクセス規制問題を体感しております。行きのトランジット時には空港からツイッターにアクセスすることができましたが、今は全然つながらないんです。
試しに他のものも試してみたところ、Twitter(いくつかのクライアントソフトもダメ)、Youtube、Facebookはつながらず、意外なのはAmazonもWikipediaもダメ、、、しかしニコ動、MixiはOKでした。日本語だからかな?
台北・香港ともに空港の整備はかなりよく、ネットもFreeで超高速、Yahooとかgoogleも今のところ大丈夫です。中国では今夏いろいろつながらなくて困ったものでしたが、香港は大丈夫で台湾はダメというのもいまいち納得が行かないところです。
とりいそぎメモがてら12月8日現在の報告まで。
とかぶつぶつ書いているとここもアクセス禁止になったりして笑。
香港のなにがしかはいずれ気が向けば書けるかもしれませんが、、、只今アクセス規制問題を体感しております。行きのトランジット時には空港からツイッターにアクセスすることができましたが、今は全然つながらないんです。
試しに他のものも試してみたところ、Twitter(いくつかのクライアントソフトもダメ)、Youtube、Facebookはつながらず、意外なのはAmazonもWikipediaもダメ、、、しかしニコ動、MixiはOKでした。日本語だからかな?
台北・香港ともに空港の整備はかなりよく、ネットもFreeで超高速、Yahooとかgoogleも今のところ大丈夫です。中国では今夏いろいろつながらなくて困ったものでしたが、香港は大丈夫で台湾はダメというのもいまいち納得が行かないところです。
とりいそぎメモがてら12月8日現在の報告まで。
とかぶつぶつ書いているとここもアクセス禁止になったりして笑。
2009/11/25
香港 - 深圳
2週間ほど前より香港にきております。とあるプロジェクトの関係で現地設計事務所に出向という形。
当初の予定ではいろいろ食べ歩き、ブログにでもアップし続けようかと思っていたのですが、忙しすぎてそれどころじゃなく、一段落しても一人じゃなかなか、という感じのため、出張中こっそりグルメ開拓作戦は不発に終わりそうです。
昨日は深圳に行っていくつかの外注しているもののチェックに行ってきました。香港ではよく外注を(当然安い)深圳の会社にするようで、東京から横浜に行くような感覚で深圳に行きます。電車は満員状態。しかし、さっと入れるのかと思いきや、かなり厳しいimigrationがあり、外国人の僕はきっちりarrivalcardまで書かされ(当然往復で二枚)体温まで計られ、という具合。ちなみに同行した香港人のスタッフはパスポートこそ不要なものの、IDチェックと指紋確認などがあり面倒くさいと言っておりました。
ヨーロッパの国境程度を予想していたので、意外でした。とはいえ、電車かバス+immigrationで香港中心部より計1時間ほど(しかも交通費はかなり安い)行くと、人件費・制作費など何もかも安い都市があるという体験は、想像していた以上に何か不思議。毎日行き来しているビジネスパーソンも多いとのことで、非常に面白いネタなんじゃないかと思ったところですが、ちょっとそんなことしている場合ではない多忙っぷりなので、今後の課題のひとつにしようと思います。
当初の予定ではいろいろ食べ歩き、ブログにでもアップし続けようかと思っていたのですが、忙しすぎてそれどころじゃなく、一段落しても一人じゃなかなか、という感じのため、出張中こっそりグルメ開拓作戦は不発に終わりそうです。
昨日は深圳に行っていくつかの外注しているもののチェックに行ってきました。香港ではよく外注を(当然安い)深圳の会社にするようで、東京から横浜に行くような感覚で深圳に行きます。電車は満員状態。しかし、さっと入れるのかと思いきや、かなり厳しいimigrationがあり、外国人の僕はきっちりarrivalcardまで書かされ(当然往復で二枚)体温まで計られ、という具合。ちなみに同行した香港人のスタッフはパスポートこそ不要なものの、IDチェックと指紋確認などがあり面倒くさいと言っておりました。
ヨーロッパの国境程度を予想していたので、意外でした。とはいえ、電車かバス+immigrationで香港中心部より計1時間ほど(しかも交通費はかなり安い)行くと、人件費・制作費など何もかも安い都市があるという体験は、想像していた以上に何か不思議。毎日行き来しているビジネスパーソンも多いとのことで、非常に面白いネタなんじゃないかと思ったところですが、ちょっとそんなことしている場合ではない多忙っぷりなので、今後の課題のひとつにしようと思います。
2009/11/02
ラグジュアリーとは何か
東京都現代美術館で開催されている『ラグジュアリー展』を見てきました。その導入の文章がなかなかよかったです。
「ラグジュアリー — それは、時代と場所を超え常に私たちの心をとらえてきました。同時に私たちは、ある種の批判的なまなざしでそれを見つめてきました。常に姿を変え、手に入れたかと思えば彼方へと逃げて行く。にもかかわらず、それがない社会は想像しにくい。ラグジュアリーが持つあいまいさ、そして、私たちの生活とのかかわりの深さが、この言葉に今なお失われることのない輝きを与えています。」
ラグジュアリー=豪華=時代錯誤である、という態度を否定し、もちろん昨今の装飾的デザインの流行とも異なり、「ラグジュアリー」を憧憬の社会性という文脈に置くあたり、なかなか深いなぁと。逃げること=憧れという構造をうまく表しているように感じます。
展示は19世紀頃の貴族のドレスから始まりシャネルやイヴサンローランあたりまでのドレスがずらっと並び、服飾のヒト達にとってはきっと生唾もの。「モンドリアン」というスーツ(モンドリアン柄)等もあり、その先にはマルタン・マルジェラとコムデギャルソン(会場設計:妹島和世)の展示。
どれも面白いですが、マルジェラの制作時間が明記されていることに驚きます。「一着の服が出来上がるまでにかかる時間もデザインや素材と同様の価値があることを、マルジェラは私たちに教えてくれます。これは、効率性や利便性のみが優先されがちな現在に対する問題提起でもあります」とあり、これまたなるほど、と。服飾の分野が抱える問題意識がこういうところに表れているのは興味深い。何がものの質を左右するか、というまさにラグジュアリーな問題提起です。
個人的な好みとしてはギャルソンの服が展開されて(およそ服とは思えない形)撮りおろされた写真が一番ぐっと来ました。着ることを考える、というのと同時に機能と形態の不一致を批判的に追求する姿勢に共感。まあ批判的な眼で見ればこじつけにも捉えられますが、これまたラグジュアリーとは何かという文脈において展示をされたことが、この展覧会を奥深いものにしていたと思います。
「ラグジュアリー — それは、時代と場所を超え常に私たちの心をとらえてきました。同時に私たちは、ある種の批判的なまなざしでそれを見つめてきました。常に姿を変え、手に入れたかと思えば彼方へと逃げて行く。にもかかわらず、それがない社会は想像しにくい。ラグジュアリーが持つあいまいさ、そして、私たちの生活とのかかわりの深さが、この言葉に今なお失われることのない輝きを与えています。」
ラグジュアリー=豪華=時代錯誤である、という態度を否定し、もちろん昨今の装飾的デザインの流行とも異なり、「ラグジュアリー」を憧憬の社会性という文脈に置くあたり、なかなか深いなぁと。逃げること=憧れという構造をうまく表しているように感じます。
展示は19世紀頃の貴族のドレスから始まりシャネルやイヴサンローランあたりまでのドレスがずらっと並び、服飾のヒト達にとってはきっと生唾もの。「モンドリアン」というスーツ(モンドリアン柄)等もあり、その先にはマルタン・マルジェラとコムデギャルソン(会場設計:妹島和世)の展示。
どれも面白いですが、マルジェラの制作時間が明記されていることに驚きます。「一着の服が出来上がるまでにかかる時間もデザインや素材と同様の価値があることを、マルジェラは私たちに教えてくれます。これは、効率性や利便性のみが優先されがちな現在に対する問題提起でもあります」とあり、これまたなるほど、と。服飾の分野が抱える問題意識がこういうところに表れているのは興味深い。何がものの質を左右するか、というまさにラグジュアリーな問題提起です。
個人的な好みとしてはギャルソンの服が展開されて(およそ服とは思えない形)撮りおろされた写真が一番ぐっと来ました。着ることを考える、というのと同時に機能と形態の不一致を批判的に追求する姿勢に共感。まあ批判的な眼で見ればこじつけにも捉えられますが、これまたラグジュアリーとは何かという文脈において展示をされたことが、この展覧会を奥深いものにしていたと思います。
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